『若き日の詩人たちの肖像』の関連年表を「年表とブログ・タイトル一覧」に掲載
『日本国紀』と小林秀雄の歴史観――徳富蘇峰の「物語」の手法と「司馬史観」論争
「他人をほめる技術」と「けなす技術」――小林秀雄の芥川龍之介・批判とアランの翻訳などをめぐって
堀田善衞のドストエフスキー観――『若き日の詩人たちの肖像』を中心に
『若き日の詩人たちの肖像』における「耽美的パトリオティズム」の批判(6)ーー「臨時召集令状」と「万世一系の国体」の実体
『若き日の詩人たちの肖像』における「耽美的パトリオティズム」の批判(5)――『方丈記』の再発見と「死の美学」の克服
『若き日の詩人たちの肖像』における「耽美的パトリオティズム」の批判(4)――「昭和維新」の考察と「明治百年記念式典」
2019年度 世界文学会 第二回連続研究会 :『歴史と世界文学』
『若き日の詩人たちの肖像』における「耽美的パトリオティズム」の批判(3、増補版)――小林秀雄の芥川龍之介観と『白痴』論の批判 »
『若き日の詩人たちの肖像』における「耽美的パトリオティズム」の批判(2、加筆版)――「海ゆかば」の精神と主人公
『若き日の詩人たちの肖像』における「耽美的パトリオティズム」の批判(1)――真珠湾の二つの光景
堀田善衞の『白痴』観――『若き日の詩人たちの肖像』をめぐって
書評〔飛躍を恐れぬ闊達な「推論」の妙──「立憲主義」の孤塁を維持していく様相〕を読む
「維新」という幻想と裏切られた「革命」――小林秀雄のドストエフスキー観と『夜明け前』論
鹿島茂著『ドーダの人、小林秀雄――わからなさの理由を求めて』を読む (1)―― 「教祖」から「神様」へ(縮小版)
ドストエーフスキイの会、第250回例会(報告者:福井勝也氏)のご案内
『若き日の詩人たちの肖像』の重要性――『堀田善衞を読む――世界を知り抜くための羅針盤』(集英社)を読んで
拙著『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲』を読み直す』などの図書紹介
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