今回の再掲にあたって副題に付けた「民族的憤激」という用語は、週刊朝日の1967年8月11日号に書いた三島由紀夫の「民族的憤激を思ひ起せ-私の中のヒロシマ」から引用したもので、三島はそこで原爆投下のニュースを知ったときの衝撃についてこう記していました。
「広島に〝新型爆弾″が投下されたとき、私は東大法学部の学生であつた。神奈川県の高座(かうざ)にある海軍の工場に勤労動員中だつたが、ひどく虚無的な気分になつてゐて、「新型爆弾に白い衣類は危険だ」といふので、わざと自シャツ姿で町を歩いたりした。/ それが原爆だと知つたのは数日後のこと、たしか教授の口を通じてだつた。世界の終りだ、と思つた。この世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある。」 (447)
だが、その前年に 2・26事件の指導者の一人であった将校 ・磯部浅一の霊に憑かれたような作品 『英霊の聲』を発表していた三島は、そのあとこう続けて
核武装」を正当化していたのです 。
「われわれは新しい核時代に、輝かしい特権をもつて対処すべきではないのか。そのための新しい政治的論理を確立すべきではないのか。日本人は、ここで民族的憤激を思ひ起こすべきではないのか」 。
⇒三島由紀夫作品でウクライナ危機を考える――「民族的憤激」の危険性
一方、 堀田善衞は『小国の運命と大国の運命』の終わり終章でヨーロッパと比較しつつ、「われわれの日本、中国、ヴェトナム、南北朝鮮、インドネシアなどの、相互にまったく不均衡かつ共通項を欠いた情況をもつアジアの方が、実はずっと危険でもあり深刻な様相にあるものである、と私は思う」(314)と書いています。
極東の諸国は日本に侵略されたり併合されたりして民族的な自尊心を著しく傷つけられた過去を持っています。 右派の政治家が三島が敬愛する2・26事件の将校たちと同じような「民族的憤激」を煽って、軍拡や核武装に踏み切ることになれば、極東から核戦争が始まる危険性が高まると思われます。
冷静に国家の未来を創造すべき政治家が「民族的憤激」を煽ることは、地震大国でありながら54基もの原発を建設した日本だけでなく、極東を滅亡の危機にさらすことにつながるでしょう。
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