高橋誠一郎 公式ホームページ

小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』の考察――長編小説『審判』の成立

小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』の考察――長編小説『審判』の成立

 『悪霊』で扇動家として否定的に描かれているピョートルのモデルとなった扇動家ネチャーエフの良心を論じたエッセイ「良心」で小林秀雄は、本居宣長に依拠しながら「良心は、はっきりと命令もしないし、強制もしまい。本居宣長が、見破っていたように、恐らく、良心とは、理智ではなく情なのである」と書いた。

 一方、一九五五年に「ラッセル・アインシュタイン宣言」を出したラッセル卿は、原爆パイロット・イーザリーの哲学者アンデルスの往復書簡をまとめ、ドイツでは『良心の立ち入り禁止』」という題名で発行された本の前書きでこう記した。

「イーザリーの事件は、単に一個人に対するおそるべき、しかもいつ終わるとも知れぬ不正をものがたっているばかりでなく、われわれの時代の、自殺にもひとしい狂気をも性格づけている。(……)彼は結局、良心を失った大量殺戮の行動に比較的責任の薄い立場で参加しながら、そのことを懺悔したために罰せられるところとなった」。

 日本では『ヒロシマわが罪と罰』という邦題で発行されているように、この往復書簡の主題は核の時代における「良心」の問題なのだが、小林秀雄はなぜかこの往復書簡については沈黙を守った。

拙著『#堀田善衞とドストエフスキー』第四章では長編小説『審判』の詳しい考察の前に『ヒロシマわが罪と罰』の問題を考察したので、ここではそれに先だってアップしていたツイートを掲載する。

« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です