昨年、「日本映画を長くリードし、海外映画にも多大な影響を与えた「世界のクロサワ」。公開時の映画評を時系列に紹介。黒澤映画の何が評価され、何が評価されなかったか」を緻密に論じた岩本憲児氏の『黒澤明の映画 喧々囂々 同時代批評を読む』(論創社、2021)が刊行された。
ドストエフスキー生誕200年にふさわしくこの本の第6章では、黒澤映画とドストエフスキー作品との関連についての井桁貞義氏と清水孝純氏とともに私の考察にも詳しく言及して紹介されている。
以下に、ここではその個所を引用することにより感謝の意を表したい。
「もう一人、高橋誠一郎はさらに徹底して、黒澤映画とドストエフスキー小説の強い結びつき、そして黒澤におけるドストエフスキーの影響を細部にわたって検証していった。(……)高橋誠一郎は二冊の著書『黒澤明で「白痴」を読み解く』(2011年)と『黒澤明と小林秀雄』(2014年)を上梓、後者には「『罪と罰』」をめぐる静かなる決闘」の副題を付けた。彼は黒澤のドストエフスキーへの関心がいつごろからあったのか、黒澤自身の回想やインタビューから探り出していく。」(310頁、314頁)
「黒澤作品におけるドストエフスキー的、またはロシア文学的要素、これを実証的に分析していくことは可能だろう。黒澤とドストエフスキー、両者を深く調べることができる人であれば。
高橋誠一郎はドストエフスキーの研究者だったから、その研究者的態度を黒澤研究にも生かすことになった。彼の熱意には脱帽させられるし、一九世紀ロシア文学の思想的・社会的背景、ドストエフスキー文学の位置や特徴、とりわけ『白痴』の読解に関してなど、筆者(岩本)は教わることが大きかった。すなわち、『わが青春に悔なし』の強い信念を持った女性・八木原幸枝(原節子)、『醜聞(スキャンダル)』の蛭田弁護士(志村喬)、その純情娘(桂木洋子)、もちろん原作『白痴』と映画『白痴』の高い親密性、『生きものの記録』の核爆発に恐怖する中島喜一(三船敏郎)、『赤ひげ』の売春宿に生きる少女・おとよ(二木てるみ)等々ドストエフスキー的人物像の説明は具体的である。
さらに、『黒澤明と小林秀雄 「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』では、ドストエフスキーに関する多数の評論を書いた小林秀雄の理解度と黒澤の理解度を比較しながら、小林が黒澤映画を一本も見ずに対談したことなどにふれ、ドストエフスキーを自己流に曲げて解釈した小林を批判している。はたして黒澤明は自身が言う「本物のインテリ小林秀雄」を表面では尊敬しながら、一方では、自己の作品のなかで小林のドストエフスキー解釈に異を唱えていたのだろうか。また、のちに黒澤本人が「ドストエフスキー論争においては小林秀雄に負けない」と言ったことが具体的には何を指していたのか、高橋誠一郎はスリリングな両者の「静かな決闘」を組み立てている。
このようにロシア文学研究に軸足を置いて書かれた二冊の本は、これまでの黒澤研究に新たな視点、しかも深い解釈をもたらしてれる。」(318~319頁)
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