前著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』では権力と自由の問題に肉薄した『罪と罰』を明治の文学者たちの視点から読み解きました。
新著『#堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』では、大正から昭和にかけての日本におけるドストエフスキーの受容の問題を堀田作品の分析をとおして詳しく考察しました。 なんとかドストエフスキーの生誕200年に間に合いほっとしています。
ただ、昨年の6月19日のツイートでは「 国会の終盤では戦前の価値観を重視する「#日本会議」が望むような時代の到来を予感させる危機的な事態が度々起きました。 それゆえツイッターデモなどにも参加しましたが、多くの声が集まったことで当面の危機は回避できたと思えます。 #堀田善衞 のドストエフスキー観の研究に戻ります。」と記していました。(twitterで会話すべてを読む」をクリックすると続きが読めます。)
しかし、総選挙は思いがけない結果となり、今年はより厳しい年となりそうですので、報道が統制されて戦争へと突入することとなった昭和初期の問題を描いた 二作品――「国策通信社」に働く女性を主人公とした『記念碑』や『若き日の詩人たちの肖像』 などをより深く読み込む必要性を感じています。
堀田作品を考察したスレッドをアップすることで、この一年を簡単に振り返ります。
(2022/01/15 改訂)
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