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ドストエーフスキイの会、255回例会(報告者:杉里直人氏)のご案内

ドストエーフスキイの会、255回例会(報告者:杉里直人氏)のご案内

「第255回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.156)より転載します。

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第255回例会のご案内    

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

                               会場変更にご注意ください !

 日 時2020年1月25日(土)午後2時~5時

場 所早稲田大学文学部戸山キャンパス31号館2階208教室

                                   (最寄り駅は地下鉄東西線「早稲田」)

報告者:杉里直人 氏

題 目: 『カラマーゾフの兄弟』を翻訳して

                                      会場費無料

 

報告者紹介:杉里直人(すぎさと なおと)

1956年生まれ。早稲田大学、明治大学、東京理科大学非常勤講師。2007年に旧マヤコフスキー学院の受講生とともに『カラマーゾフの兄弟』の輪読会を始め、2016年に読了。現在は新しい仲間も加わり、5年計画で『悪霊』を読んでいる。主要訳書:バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』(水声社、2007年)。

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第255回例会報告要旨

『カラマーゾフの兄弟』を翻訳して

2020年1月に水声社より杉里訳『カラマーゾフの兄弟』が刊行される。1914年に二浦関造の手で初めて邦訳されてから106年、拙訳は16番目の日本語訳になる。

私は今回、第一に原文を一語一語、忠実に訳すこと、そのうえで平明な訳文の作成をめざした。とはいえ、『カラマーゾフ』は概して一文が長く、構文はねじくれていて、会話は高度のmodalityに富んでいるので、「原文に忠実」と「平明な訳文」の両立は容易ではない。難所にぶつかるたびに、そして無知や思いこみに起因する錯誤を回避するために、座右に置いた13の先行訳を参照した。拙訳には既訳に異を唱え、新しい解釈を提示する箇所がいくつかあるが、それは先人との時空を超えた対話を通してなされた。利用した8つの日本語訳のうち、語学的に正確で、周到に考えぬかれた原卓也の丹念な訳業、巧みな語り口、豊富な語彙、こなれた訳文という点で抜きんでた江川卓の仕事からは学ぶ点が多かった。5つの英・仏・独訳のうち、とくに2つの英訳(Pevear&VolokhonskyとMcDuff)は、日本語訳を批評的に対象化して、異なる見地から再検討し、代々の誤訳を洗い直すために有益だった。

翻訳作業では露和辞典に依存せず、常時複数の露々辞典を引くよう心がけた。主に利用したのは、ダーリ辞典(作家と同時代に編纂)、新アカデミー辞典(現在25巻まで既刊)、旧アカデミー17巻辞典、ウシャコフ辞典、ドストエフスキー語彙辞典、ミヘリソン表現辞典、19世紀刊行の方言辞典などである。ドストエフスキーを読む際、不可欠なのはダーリと新旧アカデミー辞典で、これらを徹底的に読みこめば、誤訳を確実に正すことができる。

拙訳のもう一つの特徴は詳細な注釈である(A5版190頁、1264項目)。140年前に異国で発表された古典作品を深く的確に理解するためには、目配りがよく偏りのない注釈が必須だ。ところが、従来の邦訳のうち、注釈の名に値するものを具備しているのは江川卓訳だけだった。これはナウカ版全集のヴェトロフスカヤによる画期的注釈(1976)に依拠しつつ、江川独自の研究を盛りこんだ労作である。これが成ったのは1979年で、その後40年が経過し、作品研究は長足の進歩をとげた。ヴェトロフスカヤは『カラマーゾフ』関連の単著や論文を集成し、2007年に600頁を超える大著としてまとめ、注釈部分(209頁)も最新の知見を反映させて大幅に増補・改訂した。拙訳の訳注ではヴェトロフスカヤ、江川のほかに、グロスマン(1958)、Terras(1981)の注釈も適宜利用した。

司法、教育などの社会制度、衣服、食事などの習俗、宗教儀礼、文化、自然といった、いわゆるレアリアについてはできるだけ具体的に解説した。ロシア人にとって自明で、注釈が不要な事柄でも、外国人読者にはなじみのない事象が数多くある。それらにはブロックハウス=エフロン百科を始めとする各種事典類を頼りに、独自の注釈を施した。聖書関連ではコンコーダンスをフルに利用した。新規の試みとして絵画などの視覚情報を別丁で掲載した。

『カラマーゾフ』は《引用の織物》と言ってよいほど、古今のテクストが引用され、原著に対する顕在的・潜在的な論争、パロディ、もじり、嘲笑に満ちている。この点も可能なかぎり原典にあたって調査し、作品の読解に益する場合には注釈を付した。従来日本では言語遊戯、新造語・古語・外来語の使用など言葉の芸術家としてのドストエフスキーに関心が向けられることは少なかったが、作家は最後の長編で細部の彫琢に腐心し、さまざまな意匠を凝らしている。注釈では真に驚嘆すべきこの側面にも照明を当てることをめざした。

一連の作業のために作成したノートは最終的に29冊になった。このノートがなければ、私は『カラマーゾフ』の翻訳などという身のほど知らずの蛮行を企てなかっただろう。本例会では、なるべく多くの具体例をあげながら報告する。いくつかの新発見についてもお伝えできればと思っている。

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合評会の「傍聴記」や「事務局便り」などは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

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