昨日、「ドストエーフスキイの会」の253回例会(報告者:太田香子氏)が行われました*1。司会者の熊谷のぶよし氏がメールで書いているように、「和室でやるのにちょうどいいぐらいの人数が集まって、充実した発表に対して、さまざまな意見が」出たよい例会でした。
実際、「『悪霊』の終盤で描かれているステパンの臨終の場面での彼の信仰告白の言葉」を「スタヴローギンの告白」とも比較しながら、人物の体系にも注意を払いながらテキストをきちんと読み込んだ発表は説得力に富むものでした。この発表については近く「傍聴記」が公表され、次号の『ドストエーフスキイ広場』には論文が掲載される予定です。
私にとってはキリーロフについての言及もたいへん興味深く、西野常夫氏の論文「椎名麟三『小さな種族』と『永遠なる序章』におけるキリーロフ的人物像」の記述を思い起こしました*2。なぜならば、今年の5月に堀田善衞の自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』についての発表をしました*3。その時は言及する時間的な余裕はありませんでしたが、そこで描かれている唐突な感じのキリーロフ論も椎名麟三の作品と深く関わっていると思われるからです。
今回の発表とは直接的な関係が無いので触れませんでしたが、2012年7月21日に行われた合評会での配布資料では椎名麟三のキリーロフ論こユニークさに触れていました。帰宅して調べて見るとホームページにもこの合評会の配布資料を掲載していなかったことが分かりました。
合評会での簡単な感想ですが、堀田善衞の自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』におけるドストエフスキー作品の重要性を理解する上でも重要な考察でしたので、以下にアップします。
* *
椎名麟三の『悪霊』理解の深さとその意義――西野常夫氏の論文を読んで
はじめに
私が論評することになったのは、九州大学の研究者・西野常夫氏の「椎名麟三『小さな種族』と『永遠なる序章』におけるキリーロフ的人物像」という題名の論文です。
木下豊房氏は椎名麟三論で「日本のドストエフスキー」と呼ばれた椎名が、「ドストエフスキーとの出会いとその影響を自ら『ドストエフスキー体験』と称して多くのエッセイで繰り返し語った」と書いていました*4。
しかも、椎名は日本での上演のためにカミュの脚本をかなり短くした台本を書いていますが、2009年に出版されたアンジェイ・ワイダの訳書『映画と祖国と人生と‥・』(久山宏一、西野常夫、渡辺克義訳、凱風社)では、ほぼ同じ時期に上演されたカミュの台本による『悪霊』の上演についての記述があります。
これらのことを視野にいれることにより、椎名麟三の二つの作品を比較してキリーロフ的人物像の深まりを明らかにしようとしたこの論文の意味に迫りたいと思います。
1,『死の家の記録』から『悪霊』への視野
西野氏は独立運動に参加したために逮捕されて「鞭打ち刑二千回とシベリアでの強制労働が科せられ、1949年10月にオムスクの監獄送り」となったトカジェフスキが『監獄の七年』においてドストエフスキーについて、「自由と進歩のために囚われ人となったこの男が、すべての民族はロシアの支配下にはいる時こそ幸福になるのだと自説を開陳するのを聞くのは辛いことであった。彼は、ウクライナ、…中略…リトアニア、ポーランドなどが被占領国であるとは決して認めず、これらの土地はすべてもともとロシアのものなのだと主張」したことや、「世界で真に偉大な民族はすばらしい使命をおびたロシア民族だけ」と強調したと書いていることを指摘している*5。ここでまず注目しておきたいのは、このような理念が『悪霊』においてピョートルの手段を批判したために殺されたシャートフを想起させることである。
一方、今回の論文では、昭和16年に脱稿されたものの未発表だった短編「小さな種族」では、「須巻」という主人公がキリーロフを彷彿とさせる人物であることを指摘した西野氏は、椎名が「数え年二十八のとき」に『悪霊』を読んで、「小説なるものの真実の意味」を知ったと書いていることを確認している*6。
一方、木下氏はこのときに椎名がどのような状況であったかにも言及している。すなわち、椎名は「牢獄の経験はわずか二年たらずにすぎない。だが、この二年たらずの間に、私は精神的な危機というものを体験したのである」と書き、さらに「わが心の自叙伝」では、その理由について「一言で言えば、私の精神的土台の崩壊を見たといっていいだろう。一つは拷問のときの自己の無意味感である。何度か引き出されて拷問されたとき、今度は死ぬだろうと感じたとき、ふいに自分の一切が無意味に感じられたのである」と書いているのである。
この椎名の言葉は『死の家の記録』の「病院」の章に記されている「いつもカトリック教の聖書を読んでいた」、「やせて背丈の高い、おどろくほど端正で、威厳さえある顔だちをした、もう六十近い老人」についての次のような文章を思い起こさせる。すなわち、その老人は、「いかにも心が美しく正直そうな目をしていた」が、その後「彼が何かの事件に関連して取調べを受けているという噂」を聞いてから、二年ほど後に再び彼と会った時には、「狂人として」、「わめきちらし、高笑いしながら病室へ入って」きたのである*7。
人神論を考案して自殺したキリーロフにも要塞監獄でのドストエフスキー自身の苦悩が深く反映していると思われるが、「小さな種族」や「永遠なる序章」などの作品における椎名麟三の主人公たちにも、そのような極限的な苦悩を経験した者の刻印が深く刻まれているといえよう。
二、「小さな種族」から「永遠なる序章」へ ――キリーロフ的人物像の深まり
短編「小さな種族」の「表層的なストーリーの次元」では、「のろまでお人好しの24歳の青年」須巻と、元同僚でニヒリストの来島、そして下宿屋の女主人で「整った美人型」の未亡人・三保子との三角関係が描かれているが、この短編では須巻と三保子との間で次のような会話が描かれている*8。
「須巻はひどく度を失つて吃りながら云つた。『僕は、僕はただ、稲の葉の上を風が渡つて行きますね、ざわざわ揺れて日の匂さえしますね。いゝと思つたのです』/ 『それはどういふ意味なの?』三保子はいらだゝしげに呟いた。
『それだけなんです、意味なんかないのです』」。
この会話に注目した西野氏は、『悪霊』でもキリーロフとスタヴローギンとの会話が次のように描かれていることを指摘して、「小さな種族」の須巻は「キリーロフの世界観を念頭に置いて形成されたと考えて間違い無いであろう」と書いている。
「『ぼくは十ばかりの頃、冬わざと耳をふさいで、葉脈の青々とくっきりとした木の葉を想像してみた。陽がきらきら照っているんです。それから目をあけて見たとき、なんだか本当にならないようでした。だって実にいいんですものね(後略)』
『それはなんです、比喩ででもあるんですか?』
『い……いや、なぜ? 比喩なんか。…中略…木の葉はいいもんです。何もかもいいです』」。
一方、昭和23年に書かれた「永遠なる序章」では、「死への志向とニヒリズムを共有する点で、精神的同類であった」、「日本のスタヴローギン」ともいえる医者の銀次郎と、「余命いくばくもない」患者の安太との生き方を描いている。
ここで主人公の安太は「生の喜びを知った後に、ほどなくして死んでしまう」が、西野氏は、「『五秒間に一つの生を生きるのだ。そのためには、一生を投げ出しても惜しくない。それだけの価値があるんだからね!』とキリーロフが言ったように、生の喜びを発見した安太は『明日は確実に自分にとって虚無であるにかかわらず、明日への激情』を体に感じ」たと描かれていることを確認している*9。
それゆえ、西野氏は「安太にとって、ニヒリスト銀次郎の超克と生の賛美への到達が連動しているという構造は、『小さな人種』には欠けていた人物間の有機的関係を補充したものだと考えることができるのである」と結んでいる。
この意味で注目したいのは、木下氏が「椎名によるドストエフスキー受容の最深地点」として、キリーロフがスタヴローギンに向かって、「すべてがよい」といい、後者が「少女を凌辱してもいいのか」と問い詰めると、キリーロフは「もちろんそうしてもいい。人間はすべていいからだ。しかしもし、それを悟ったら、娘っ子を辱めたりしないだろう」というくだりを挙げていることである。
そして、椎名が「すべてはいい」ということと、「そうしないだろう」ということの間にある「矛盾」に椎名はある種の啓示を受けていることを指摘した木下氏は、「ここを読むたびに感動し、この矛盾した言葉の背後から、何かしら新鮮な自由をかんじさせる光が感じられてくるのであった」という椎名の言葉を紹介している。そして、その自由の光が「この矛盾の両項を成立させているイエス・キリストからやってきたものだ」と分かったと続けていることを紹介して、ここに「人間の全的な自由の宣言」とともに、そこから「個人的な自由として道徳を守る」という理想を、椎名は読みとっていると指摘している。
たしかに、このような椎名の『悪霊』理解には、「白い手」の甘やかされた貴族の息子スタヴローギンのみを主人公として読み解くような昨今の読みを超える深さが感じられる。
現在では言及されることの少ない二つの作品を比較することで椎名のキリーロフ理解の深まりを明らかにした西野氏の論文は一見地味だが、そこには明らかにワイダの映画『悪霊』も視野に入っており、『悪霊』論の本質的な意義にも迫っていると思える。
注
*1 太田香子「ステパンの信仰告白から読み解く『悪霊』」、高橋誠一郎ホームページ、http://www.stakaha.com/?p=8777 参照。
*2 西野常夫「椎名麟三『小さな種族』と『永遠なる序章』におけるキリーロフ的人物像」『ドストエーフスキイ広場』(第21号、2012年)。
*3 高橋誠一郎「堀田善衞のドストエフスキー観――『若き日の詩人たちの肖像』を中心に」高橋誠一郎ホームページ、http://www.stakaha.com/?p=8513、参照。
*4 木下豊房「椎名麟三とドストエフスキー」『ドストエーフスキイ広場』(第12号、2003年)→「椎名麟三とドストエフスキー」(木下豊房ネット論集『ドストエフスキーの世界』)
*5 西野常夫「トカジェフスキの見たドストエフスキイ・『死の家』における二人の革命家の出会い」『ドストエーフスキイ広場』(第9号、2000年)
*6 椎名麟三「ドストエフスキーと私」『全集』冬樹社、第16巻、10頁。
*7 高橋誠一郎『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』刀水書房、120頁。
*8 椎名麟三『全集』冬樹社、第22巻、356~7頁。
*9 椎名麟三『全集』冬樹社、第1巻、425頁。
(掲載に際しては一部改訂し、本文中の説明は注に移動した)
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