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映画《白痴》と『椿姫』――ソフィア大学での挨拶

映画《白痴》と『椿姫』――ソフィア大学での挨拶

はじめに

私が『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社)を出版したのは、2011年のことでしたが、その後、相沢直樹氏の『甦る『ゴンドラの唄』── 「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容』(新曜社、2012年)と「黒澤明の映画『白痴』の戦略」が付論として収められている清水孝純氏(九州大学名誉教授)の『白痴』を読む――ドストエフスキーとニヒリズム』(九州大学区出版会、2013年)が相次いで出版されました。

黒澤明で「白痴」を読み解く甦る「ゴンドラの唄」『白痴』を読む

このことを踏まえて2013年10月28日にホームページの「映画・演劇評」の頁に書いた記事ではこう記しました。

「日本では不遇だった黒澤映画《白痴》が甦り、映画《生きる》とともに力強く世界へと羽ばたく時期が到来しているのではないかとの予感を抱く。」

劇中歌「ゴンドラの唄」が結ぶもの――劇《その前夜》と映画《白痴》

  それゆえ、2018年にブルガリアで開催される国際ドストエフスキー・シンポジウムで、映画《白痴》の「円卓会議」が開かれることになったことを知った際には、私の予感が当たったように思えて、少し無理をしてでも参加することにしました。

幸い、日本からは清水孝純先生や黒澤明研究会幹事の槙田寿文氏も参加されて、盛り上がった会議となり、映画《白痴》の上映会も開かれた。その際に行った短い挨拶の文章が『異文化交流』に掲載されたのでここに転載します。

   *    *

今年(2018年)の10月23日から26日までブルガリアの首都ソフィアで、ブルガリアの科学アカデミー、国立文学博物館などの共催による「国際ドストエフスキー・シンポジウム」が開かれ、黒澤明監督の映画《白痴》の円卓会議も開かれました。

 東海大学の交換留学生としてソフィア大学などで学んだことが、円卓会議につながったことに深い感慨を覚えるとともに、語学学習の重要性も改めて感じました。ソフィア大学での映画《白痴》上映の前に語った挨拶の言葉を、一部、分かり易いように内容を補ったうえで、以下に掲載します。

ブルガリア、ソフィア大学(ソフィア大学、出典はブルガリア語版「ウィキペディア」)

 

親愛なる学生のみなさん

この度、皆さんに黒澤明の映画《白痴》についての紹介をすることが出来るのはたいへんな喜びです。私がほぼ半世紀前にソフィア大学で学んだ際にはブルガリアについては日本ではまだ広く知られていませんでしたが、モスクワ大学に留学していたブルガリア人の若者を描いたツルゲーネフの『その前夜』を読んだことで、この国のことについては知っていました。

そして著名な黒澤明監督もこの小説のことをよく知っていたと思われます。なぜならば、日本の「芸術座」がこの劇をすでに1915年に上演していたからです*1。注目したいのは、『その前夜』においては、ブルガリアの若者インサーロフと結婚したエレーナがヴェネツィアで聞いたヴェルディのオペラ《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》の印象も詳しく描かれていたことです。

日本における『その前夜』の上演に際しては主演女優が歌った「ゴンドラの唄」はたいへんヒットしましたが、黒澤明監督は映画《白痴》の次に撮った映画《生きる》で主人公にこの歌を二度歌わせています*2。

しかも、長編小説『白痴』においてもナスターシヤはトーツキーを「椿紳士」と呼んでいましたが、この長編小説における『椿姫』の重要性を理解していた黒澤監督は、綾子(アグラーヤ)に、「椿姫」という単語を用いて、妙子(ナスターシヤ)を「あなたは椿姫を気取っている」と非難させることで、妙子(ナスターシヤ)がなぜ絶望的な行動へと駆り立てられたかを見事に示唆していたのです。

残念ながらこの映画は、会社側の意向で半分に切られてしまいましたが、映画《サクリファイス》を撮ったロシアの監督タルコフスキーは、この映画を『白痴』のもっともすぐれた映画化であると記していました。

 みなさんがこの映画を満喫されることを願っています。

 ご清聴ありがとうございました。

 

*1 芸術座については、木村敦夫「トルストイの『復活』と島村抱月の『復活』」、東京藝術大学音楽学部紀要、第39集、2014年参照。

*2 相沢直樹『甦る『ゴンドラの唄』── 「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容』新曜社、2012年。

   (『異文化交流』第19号、2018年、164~165頁より転載、10月2日、改題)

『黒澤明で「白痴」を読み解く』の紹介(ブルガリア・ドストエフスキー協会のサイトより)

 

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