『世界文学』の「時代と文学Ⅰ」特集号に、「明治維新」の問題を考察した標記のエッセイが掲載されました。
(書影は『世界文学』126号、2017年)
以下にそのエッセイを転載します。
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2018年1月1日の年頭所感で「本年は、明治維新から、150年目の年です」と切り出した安倍首相は、「これまでの身分制を廃し、すべての日本人を従来の制度や慣習から解き」放ったと「明治維新」を讃美していました。
これに対して夏目漱石や司馬遼太郎についての造詣が深い作家の半藤一利は、夏目漱石の用語などを分析してこの言葉が使われだしたのは明治14年の政変の前年頃からであることを指摘し、「薩長政府は、自分たちを正当化するために」、「『維新』の美名」を使いだしたのではないかと指摘していました。(→ 半藤一利「明治維新150周年、何がめでたい」 – 東洋経済オンライン)
実際、夏目漱石は弟子の森田草平に宛てた手紙で島崎藤村の長編小説『破戒』を、「明治の小説として後世に伝ふべき名篇也」と激賞しましたが、『罪と罰』からの強い影響が指摘されているこの長編小説では、「忠孝」についての演説を行う一方で、明治維新で唱えられた「四民平等」に反して被差別部落民の主人公に対する「差別」的な発言を繰り返していた校長や教員、政治家たちの言動が詳しく描き出されているのです。
こうして藤村は、帝政ロシアで起きたユダヤ人に対する虐殺に言及しながら、明治4年に出された「解放令」以降も現代のヘイトスピーチを連想させるような激しい言葉などによる差別が実質的には続いていたことを明らかにしていたのです。
さらに藤村は、「治安維持法」の発布から言論の自由が厳しく制限されるようになる時期には、武力を背景として「開国」を要求した黒船の来航に揺れてナショナリズムが高まった頃に平田派の国学者となった自分の父・島崎正樹を主人公のモデルとした長編小説『夜明け前』を雑誌に連載していました。
この長編小説で主人公の気持ちだけでなく「平田派の学問は偏(かた)より過ぎるような気がしてしかたがない」という寿平次などの批判的な言葉も記した島崎藤村は、新政府の政策に絶望して「いかなる維新も幻想を伴うものであるのか、物を極端に持って行くことは維新の附き物であるのか」という半蔵の深い幻滅を描いていたのです。
こうして、日本を「万(よろず)の国の祖(おや)国」と絶対化した平田篤胤の考えを信じて「異教」と見なしたキリスト教だけでなく仏教をも弾圧して「廃仏毀釈」運動などを行っていた主人公は、先祖の建立した青山家の菩提寺に放火して捕らえられ狂死します。
自分の信じる宗教を絶対化して他者の信じる仏像などを破壊する廃仏毀釈を強引に行い、親類からも見放されて狂人として亡くなった半蔵の孤独な姿の描写は、シベリアの流刑地でも孤立していた『罪と罰』のラスコーリニコフの姿をも連想させるような深みがあります。
一方、文芸評論家・小林秀雄は明治時代に成立していた「立憲主義」が「天皇機関説」論争で放棄されることになる前年の1934年に書いた「『罪と罰』についてⅠ」で、「殺人はラスコオリニコフの悪夢の一とかけらに過ぎぬ」とし、「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と結論していました。
そして、「天皇機関説」事件の翌年に行われた『文学界』合評会の「後記」では、古代復帰を夢見て破滅した主人公の気持ちに焦点をあてて、「成る程全編を通じて平田篤胤の思想が強く支配してゐるといふ事は言へる」と『夜明け前』を解釈していたのです。
長編小説に記された登場人物の体系を軽視して、きわめて情念的で主観的に作品を解釈するこのような小林の批評方法は、「信ずることと考えること」と題して行われた1974年の講演会の後の学生との対話でより明確に表れています。
そこで「大衆小説的歴史観」と「考古学的歴史観」を批判した小林秀雄は、「たとえば、本当は神武天皇なんていなかった、あれは嘘だとういう歴史観。それが何ですか、嘘だっていいじゃないか。嘘だというのは、今の人の歴史だ」と語って平田派的な歴史観を主張していたのです(国民文化研究会・新潮社編『小林秀雄 学生との対話』新潮社、2014年、127頁)。
注目したいのは、今年2月に雑誌『正論』に掲載された評論で、「感服したのは、作者が日本という国に抱いている深い愛情が全篇に溢(あふ)れている事」だと記した小林の『夜明け前』論を引用した評論家の新保祐司が、小林秀雄の「モオツァルト」にも言及しながら皇紀2600年の奉祝曲として作られたカンタータ(交声曲)「海道東征」には「紛れもなく『日本』があると感じられる」と賛美して、「戦後民主主義」の風潮から抜け出す必要性を主張していました。
しかし、「明治維新」を賛美した安倍政権下の日本では、韓国や中国の人々にばかりでなく、福島の被爆者や沖縄県民や意見を異にする人々に対する激しいヘイトスピーチが再び横行するようになっているのです。
この意味で注目したいのは、2・26事件の前日に上京した若者を主人公とし、「暗黒の30年」と呼ばれる時期に書かれたドストエフスキーの『白夜』の冒頭の文章が第1部の題辞として用いられている堀田善衛の自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』が、政府主催による「明治百年記念式典」が盛大に行われた1968年に発行されていたことです。
登場人物の一人に「平田篤胤がヤソ教から何を採って何をとらなかったかが問題なんだ、ナ」と語らせた堀田は、「復古神道はキリスト教にある、愛の思想ね、キリストの愛による救済、神の子であるキリストの犠牲による救済という思想が、この肝心なものがすっぽり抜けているんだ。汝、殺すなかれ、が、ね」と続けさせていました。
小林秀雄が「『白痴』についてⅠ」で「殺すなかれ」という理念を説いていたムィシキンを批判していたことに注目するならば、「立憲主義」を敵視する復古主義的な傾向が再び強くなり始めていた年に刊行された『若き日の詩人たちの肖像』は、小林秀雄の『夜明け前』観に対する厳しい批判をも秘めていると思われます。
(本稿では敬称は略した。『世界文学』128号、2018年、78~79頁)
→「様々なる意匠」と「隠された意匠」――小林秀雄の手法と現代
(2019年2月24日、リンク先を追加)
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