夏目漱石が東京を発って遠く四国松山の尋常中学校に向ったのは、明治28年(1895)4月7日のことでした。
漱石が松山になぜ行ったのかを考察して「東京での挫折感、厭世感、失恋などが考えられる」とし、正岡子規の斡旋説も紹介した中村文雄氏は、さらに「高等師範学校が教師をうるさく束縛する」との理由を伊藤整が挙げていたと指摘しています(『漱石と子規・漱石と修――大逆事件をめぐって』(中村文雄著・和泉書院、2002年)。
漱石の高等師範学校の退職の原因に迫ったこの一文は、拙著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)で松山中学を舞台にした漱石の『坊っちゃん』にも言及した時から気になっていたのですが、子規を中心としたこの書では深く分析することはできませんでした。
しかし、帝政ロシアの法制度をも鋭く考察したドストエフスキーの『罪と罰』と長編小説『破戒』との関連について調べ始めた時に、再びこの問題が大きく浮かび上がってきました。
なぜならば、島崎藤村はこの長編小説の主人公・瀬川丑松を師範学校の卒業生としたばかりでなく、彼が師と仰ぐ猪子蓮太郎も同じ師範学校で心理学の講師でしたが、被差別部落出身であることが明るみにでたことで師範学校から追放されたと書いていたからです。
このエピソードは「教育勅語」発布の翌年1月に第一高等中学校教員であった内村鑑三が、教育勅語奉読式において天皇親筆の署名に対して敬礼はしたが最敬礼をしなかったために、「国賊」「不敬漢」という「レッテル」を貼られて退職を余儀なくされたといういわゆる不敬事件が起きていたことを強く想起させます。
しかも、『文学界』第2号に発表された頼山陽の歴史観を賛美した山路愛山の史論「頼襄(のぼる)を論ず」を厳しく批判した北村透谷の「人生に相渉(あいわた)るとは何の謂(いい)ぞ」に端を発した愛山と徳富蘇峰などとの激しい論争と透谷の自殺の背景には、「教育勅語」の問題がありました(拙論「北村透谷と島崎藤村――「教育勅語」の考察と社会観の深まり」『世界文学』第125号参照)。
それらのことを考慮するならば、解放運動の指導者だった猪子廉太郎が暴漢に襲われて亡くなった後では、師の理念を受け継ぐことになることが示唆されている長編小説『破戒』の瀬川丑松の歩みは、透谷死後の藤村の歩みとも重なるように思えます。
それゆえ、ここでは水川隆夫氏の『夏目漱石と戦争』(平凡社新書、2010年)の記述をとおして、漱石の高等師範学校の退職の問題を簡単に整理しておきます。
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太政官布告により徴兵令が発せられたのは、明治6年(1873)1月のことでしたが、明治19年(1886)4月に発布された師範学校令によって設置された師範学校と高等師範学校が設置されると、「師範学校では全寮制をとり、軍隊内務班にならって隊伍を編制し、兵式体操を重視し、生活のすべてをラッパによって規制するなど兵営生活と同じような軍隊式教育を実施」していました。
一方、漱石は第一高等中学校予科を卒業し、英文学専攻を決意して本科第一部に進んだ明治21年(1888)に書いた英作文「討論――軍事教練は肉体錬成の目的に最善か?」で、「私は軍事教練という名前を聞いただけで、虫酸(むしず)が走ります。軍事教練において、われわれは、形こそ人間でも、鈍感な動物か、機械的な道具のごとく遇されるのであります。われわれは、奴隷か犬のように扱われるのであります」と厳しく軍事教練を批判していました。
このことに注意を促した水川隆夫氏は、漱石が高等師範学校講師の時代を振り返った「私の個人主義」(1914年)において次のように語っていたことを指摘しています。
「然し教育者として偉くなり得るやうな資格は私に最初から欠けてゐたのですから、私はどうも窮屈で恐れ入りました。(中略)何(ど)うあっても私には不向(ふむき)な所だとしか思はれませんでした。奥底(おくそこ)のない打ち明けた御話をすると、当時の私はまあ肴(さかな)屋が菓子屋へ手伝ひに行ったやうなものでした。/ 一年の後私はとうとう田舎の中学へ赴任しました。」
この言葉を引用した水川氏は、師範学校ほどには厳しくはないとしても、高等師範学校でも「漱石が『窮屈』と感じるような国家主義的、権威主義的、形式主義的な教育が行われていたものと思われます」と記しているのです。
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福沢諭吉は自由民権運動が高まっていた明治12年に書いた『民情一新』で、学校の生徒を「兵学校の生徒」と見なしたニコライ一世の政治を「未曽有(みぞう)の専制」と断じて厳しく批判していましたが、徳富蘇峰は大正5年に発行した『大正の青年と帝国の前途』で、「必要なるは、学校をして兵営の気分を帯ばしめ、兵営をして学校の情趣を兼ねしむる事也」と記して、軍事教練の必要性を説いていました。
そして、戦後72年を経た日本では大阪の塚本幼稚園で「教育勅語」を暗唱させていたことが国会などで問題となりましたが、来年からは小学校で再来年からは中学校でも「道徳」が「特別の教科」として教えられることになったばかりでなく、自衛隊で行われている実戦的な「銃剣道」が中学の「武道」に入りました。
軍事教練に対する夏目漱石の厳しい批判や長編小説『破戒』の校長批判は、「特定秘密保護法」や「戦争法」が次々と強行採決されるなど「立憲主義」を軽視して軍拡に向かっている安倍政権の問題点をも明確に示していると思えます。
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