1,PKO日報破棄隠蔽問題と稲田防衛相]
7月19日に新聞各紙はPKO日報問題について「二月に行われた防衛省最高幹部による緊急会議で、保管の事実を非公表とするとの方針を幹部から伝えられ」、稲田防衛相が「了承していた」ことが明らかになったと報道した(「東京新聞」を参照)。
これに対して稲田氏は21日に開いた記者会見で、自分は「一貫して公表すべきだとの姿勢だった」と繰り返し、非公表や隠蔽の指示は「私の姿勢とは真逆で相いれない」と強調した。
「省幹部が嘘をついているのか」と厳しく追及された稲田氏は「嘘をついたとは言っていない」と語ったが、陸上自衛隊幹部が漏らしたように「防衛相の関与まで報道された以上、監察の結果が出るだけでは騒動は収まらないだろう」(「日本経済新聞」デジタル版を参照)。しかも、umekichi氏はツイッターで先ほど次のように指摘している。
〔前にもツイートしたけど、見てる限りきちんと報道していない。PKO日報破棄隠蔽について。稲田防衛大臣「私の指示により、探させ日報を見つけた」 平気で嘘をつく。探させたのは河野太郎議員率いる「行政改革推進本部」だからね。 手柄欲しさに姑息な事をやる。〕(7月23日)。
また、生命倫理の研究者・澤田愛子氏も「今安倍内閣で生じていること。どんな不正を働いても、重大な証拠があっても、見え透いた嘘で否定し続ければスルーしていくという事。明らかに嘘と分かる弁明でも強弁し続ければそれで通っていくとしたら恐ろしい前例になる。今後不祥事で辞任などする閣僚はいなくなるということだ。恐ろしすぎる」とツイートしている(7月21日)。
このブログでは「復古」的な価値観を賛美する稲田朋美防衛相の憲法観と「教育勅語」観や戦争観の危険性をいくつかの論考で指摘してきたので、次節で小林秀雄がヒトラーの「平和」観をどのように描いていたかを分析する前に、以下にリンク先を再掲しておく。
→稲田朋美・防衛相と作家・百田尚樹氏の憲法観――「森友学園」問題をとおして(増補版)
→稲田朋美・防衛相の教育観と戦争観――『古事記と日本国の世界的使命』を読む(増補改訂版)
2,「ヒットラーと悪魔」における「大きな嘘」をつく才能の賛美
戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏は、安倍政権の閣僚や取り巻きの嘘について7月21日のツイッターでこう記している。
〔「安倍首相やその取り巻きは、なぜあんなに平気でウソばかりつくんでしょう」とよく聞かれるが、私の認識は「主観が肥大した世界に生きている」からというもの。不都合な事実を主観で操作しているだけで、ウソをついているという罪悪感はたぶん無い。〕
鋭い分析で彼らには「ウソをついているという罪悪感はたぶん無い」との指摘は正鵠を射ていると思うが、彼らは「不都合な事実を主観で操作している」だけではなく、むしろ小林秀雄のように「大きな嘘」をつくことを「政治の技術」と捉えている可能性が大きいと思える。
「ヒットラーの独自性は、大衆に対する徹底した侮蔑と大衆を狙うプロパガンダの力に対する全幅の信頼とに現れた」と書いた小林は、こう続けていたのである。
「彼(引用者註――ヒトラー)は世界観を美辞と言わずに、大きな嘘と呼ぶ。大衆はみんな嘘つきだ。が、小さな嘘しかつけないから、お互いに小さな嘘には警戒心が強いだけだ。大きな嘘となれば、これは別問題だ。彼等には恥かしくて、とてもつく勇気のないような大嘘を、彼等が真に受けるのは、極く自然な道理である。大政治家の狙いは其処にある。」
問題は小林秀雄が、この随筆を書いた翌年の1961年から「国民文化研究会」の主宰者で、「日本を守る会」や「日本会議」などで代表委員を務め、「日青協」のメンバーから「先生」と深く尊敬されるようになる小田村寅二郎から「全国学生青年合宿所」と銘打たれた研修会に招かれて、1978年までに5回もの講演と学生との対話を行っていたことである(国民文化研究会・新潮社編『小林秀雄 学生との対話』新潮社、2014年)。
しかも、「信ずることと考えること」と題して行われた1974年の講演会の後の学生との対話で、小林は「歴史は流行って」いるが「大衆小説的歴史観」とともに「考古学的歴史観もよくない」として、次のように語っていた。「たとえば、本当は神武天皇なんていなかった、あれは嘘だとういう歴史観。それが何ですか、嘘だっていいじゃないか。嘘だというのは、今の人の歴史だ」(太字は引用者、127頁)。
三笠宮は1958年に神武天皇の即位は神話であり史実ではないとして強く批判し、「国が二月十一日を紀元節と決めたら、せっかく考古学者や歴史学者が命がけで積上げてきた日本古代の年代大系はどうなることでしょう。本当に恐ろしいことだと思います」と書いていた(上丸洋一『「諸君!」「正論」の研究 保守言論はどう変容してきたか』岩波書店、10頁)。
そのことを思い起こすならば、「嘘だっていいじゃないか」という小林の言葉は、神武天皇の即位は神話であり史実ではないとした考古学者や歴史学者の見解を真っ向から否定するものだったと言えるだろう。
しかも、すでにみたように小林秀雄はヒトラーの政治手法について、「バリケードを築いて行うような陳腐な革命は、彼が一番侮蔑していたものだ。革命の真意は、非合法を一挙に合法となすにある。それなら革命などは国家権力を合法的に掌握してから行えば沢山だ。これが、早くから一貫して揺るがなかった彼の政治闘争の綱領である」と書いていた(『考えるヒント』文春文庫、新装版、111頁)。
そして、『神社新報』編集長の西田廣義も「日青協」の機関誌『祖国と青年』(1976年7月)で、「例えばヒトラーですが、政権奪取の運動をしている時は、現憲法擁護だと言って、運動を展開していた。そして政権をとった後、憲法を変えたり、体制変革したりした」と小林秀雄と同じように語っていた(『ドキュメント 日本会議』58頁)。
こうして、ヒトラーの「大きな嘘」を「感傷性の全くない政治の技術」と賛美していた小林秀雄の考えは、「日青協」のメンバーだけでなく、憲法改正論に関してナチス政権の「手口」を学んだらどうかと発言した麻生副総理や1994年に『ヒトラー選挙戦略 現代選挙必勝のバイブル』に推薦文を寄せていた高市早苗・総務相だけでなく、稲田防衛相にも強い影響を与えていたように思える。
大きな問題は日本におけるヒトラー的な手法の賛美が政治家に留ってはいないことにある。7月12日の午後に生放送された情報番組「ごごナマ」には実業家の堀江貴文氏がナチスの独裁者ヒトラーに似た人物が描かれたTシャツを着用して出演した。
このことを批判された本人は、「ヒトラーがピースマークでNO WAR叫んでるTシャツ何回も着てたけど初めて炎上してる。どっからどう見ても平和を祈念しているメッセージTシャツにしか見えない」と書き、「シャレわかんねー奴多い」とツイッターで反論したばかりでなく、「No Warの文字が入っていた」ので問題はないとする応援のツイッターもあることに驚かされた。
なぜならば、小林秀雄が「ヒットラーと悪魔」で明確に指摘していたように、ヒトラーは「自分の望むものは正義と平和だ」と声明だけでなく演説でも絶叫したが、彼は「戦争を覚悟して首相になった」のであり、「外交も文字通り芝居だった」のである(117~118頁)。
堀江氏の記述は彼の歴史認識の浅さを物語っているだけで反論にもなりえていない。番組の司会をしたアナウンサーは「不快な思いを抱かれた方にはおわび申し上げます」と謝罪したとのことが、すでにツイッターなどで指摘されているように、堀江氏のような歴史観を持つ人物をゲストに招いたNHKだけでなく、大阪万博誘致担当の特別顧問に任命した大阪府の見識は厳しく批判されるべきだろう。
だが、それ以上に「大きな嘘」をつくことを「政治の技術」と捉えてそれができるものを「大政治家」と記していた「評論の神様」小林秀雄の歴史観や文学観は、より厳しく批判されるべきだと思える。
小林秀雄のヒトラー観(1)――書評『我が闘争』と「ヒットラーと悪魔」をめぐって
小林秀雄のヒトラー観(2)――「ヒットラーと悪魔」とアイヒマン裁判をめぐって
「ヒットラーと悪魔」をめぐって(4)――大衆の軽蔑と「プロパガンダ」の効用
(2019年5月1日、リンク先を追加。)
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