「森友学園」問題は幼稚園児に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」と記された「教育勅語」を暗唱させている映像がテレビでも放映されたことが視聴者の関心を引いたこともあり、世論を動かすような事態となった。
しかし、安倍政権(ほとんどの閣僚が「日本会議」や「神道政治連盟」の「国会議員懇談会」に所属している)は、このような状況を政治利用する形で、憲法や教育基本法に反しない形での教育勅語の教材活用を否定しないとした政府答弁書を作成した。
そして、菅官房長官は 「教育勅語」について「親を大切にとか、兄弟姉妹仲良くとか、教育上支障のないことを取り扱うことまでは否定しない。適切な配慮の下、教材使用自体に問題はない」と説明した(なお、育鵬社の歴史教科書が政府見解を先取りするように「教育勅語」を肯定的に論じていることがツイッターに記されている)。
これに対しては朝日新聞が「この内閣の言動や思想をあわせ考えれば、今回の閣議決定は、戦前の価値観に回帰しようとする動きの一環とみなければならない」と厳しく批判し、毎日新聞も4日付朝刊で「戦前回帰 疑念招き」「安倍政権 保守層に配慮」との見出しを掲げた。
東京新聞も「戦前回帰の動きとすれば、封じ込めねばならない。安倍政権は、教育勅語を道徳教育の教材として認める姿勢を鮮明にした。個人より国家を優先させる思想である。復権を許せば、末路は危うい」との社説を5日に掲載した。
一方、「教育勅語を全否定する野党と一部メディアの大騒ぎ それこそ言論統制ではないか」と題する署名入りの記事でこれらの批判記事を紹介した産経新聞は、ことに朝日新聞が「おどろおどろしく断じていた。まさに『妄想』全開である」と小説『永遠の0(ゼロ)』の文章を連想させるような激しい言葉で批判した。さらに「教育勅語の排除と失効確認の決議はGHQ(連合国軍総司令部)の統治下に行われた」と「日本会議」と同じような主張を記して記事を結んでいる。
しかし、宗教学者の島薗進氏が『国家神道と日本人』で明らかにしていたように、「国家神道は教育勅語煥発以後、公的精神秩序の規範として次第に国民生活を蔽っていくようになり、諸宗教・思想はそれを受け入れた上で限定的な『信教の自由』を享受するという宗教・思想の二重構造が成立」していた。
そのような状況で「教育勅語」は絶対化されて、職員室や校長室に設けられた奉安所は、社や神殿のような荘厳な奉安殿となり、配属将校のもとで軍事教練を繰り返させられた若者たちは、「徹底した人命軽視の思想」(『永遠の0(ゼロ)』)によって行われていた悲惨な戦争へと駆り出されることになったのである。
たとえば、ツイッターで下記の写真を紹介した津川ともひさ氏(@TsugawaTomohisa)は、「かの人たちのイメージする『人づくり』はまさに下の写真の通り。1942年5月、東京中目黒国民学校の軍事教練。御真影と教育勅語を収めた軍事教練の前で銃剣をかついだ子どもたちに「かしらーツ、みぎツ」の号令が。」と書いている。
(写真は『別冊一億人の昭和史 学童疎開』(1977年9月15日 毎日新聞社、56~57頁より)
私はこのような方向性を教育界だけでなく文学界でも決定づけたのが、「教育勅語」の渙発の翌年の1月に起きた内村鑑三の「不敬事件」であり、その後に起きた「教育ト宗教ノ衝突」論争や「人生相渉論争」だっただろうと考えている。
それについてはこのホームページでもすでに言及しているので、ここでは先に公開された陸上自衛隊の新たなエンブレムと、公立中学校の「森友学園」化の危険性を示唆している図版を2点挙げるにとどめる。
集団銃剣道を演ずる私学校の生徒(1942年、写真は「ウィキペディア」より)
これらの図版は「積極的平和主義」を掲げつつ、広島・長崎だけでなく福島の悲惨な経験を反省することなく、原発産業や軍需産業に肩入れして戦争に突き進んでいる安倍自公政権の「戦前復帰的な」価値観を雄弁に物語っていると思えるからである。
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