『坂の上の雲』を材料に正岡子規の生涯を追い、
司馬遼太郎の魅力的な議論をコンパクトにまとめ、
分かりやすく読み解く。
人文書館のHP・ブックレビューのページに木村敦夫・日本トルストイ協会理事の書評の抜粋が掲載されましたので、このHPでも紹介させて頂きます。
(人文書館のHPより) →新聞への思い 正岡子規と「坂の上の雲」
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正岡子規を太い経糸(たていと)、彼と親交のあった人々を細い経糸とし、 文明開化に浮かれ騒ぐ日本社会を緯糸(よこいと)として みごとなタペストリーに織り上げ、 明治期の日本の真の「姿」を再構築している。
木村敦夫
作者にとっては2冊目の『坂の上の雲』論である。本作では、「正岡子規を主人公として新聞『日本』を創刊した陸羯南(くがかつなん)との関わりや夏目漱石の友情をとおして」考察している。本書のタイトルに現れている通り、正岡子規論とは言え、新聞記者・正岡子規を通して語られる、日本全体はおろか、日露両国の比較考察さえも超えた、地球規模で俯瞰され提起される広い問題意識が、本書の特徴でもあり、醍醐味でもある。
作者が、読者の想像力を、読者の楽しみを刺激してくれるのは、それらの「ひと」にとどまらない。子規が生きた時代を、社会情勢を、日本に限らず、ヨーロッパ、ロシアをも視野に入れて活写し読み解いてくれている。
1889年、明治22年に議会主義と三権分立が明示された明治憲法が発布されたが、それに先立つ1882年、明治15年に山県有朋の意図のもと「軍人勅諭(ちょくゆ)」が出されていて、「民権」は制限された。その前年1881年、明治14年に明治政府は国会開設の詔勅を出している。「飴と鞭」政策なのかと思いきや、この「軍人勅諭」は反「民権」を全面に押し出している。明治政府にとって「国民」とは、法によって権利と義務を明解に規定するものというよりも、徴税、徴兵の対象というに過ぎなかったのである。さらに、この勅諭を盾に昭和期に「政治化した軍人が軍閥を作」り、明治憲法の精神を踏みにじり三権を超越する「統帥権」の存在を主張し始め、1945年、昭和20年の敗戦まで突っ走り、ついには「国家そのものを破壊する」にいたる。
といったように、作者は、司馬遼太郎の魅力的な議論をコンパクトにまとめ、分りやすく読み解いていく。本書は、正岡子規を狂言回しとした明治期の網羅的な歴史叙述の書だと言える。子規や漱石が身を置いていた社会情勢のみならず、文学、芸術にも読者の目を向けさせ、また、国内外の政治状況、日本の立場から見た国際情勢までも視野に入れさせてくれる。
作者の見識の高さ、洞察の鋭敏さ、視野の広さ、考察の柔軟さを物語るものだが、本書は、そしてまた作者、高橋誠一郎は、司馬遼太郎の作品を通して、司馬遼太郎の視線を通して正岡子規を見るという外枠を超えて、さまざまに読者の知的好奇心を刺激してくれる。
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木村敦夫(キムラ・アツオ、ロシア文学研究者。日本トルストイ協会理事。論文「トルストイの『復活』と島村抱月の『復活』」東京藝術大学音楽学部紀要など。)
『ユーラシア研究』(2017年、第55号、ユーラシア研究所編「書評」より部分的に抜粋)
→『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館、2015年)〔目次と書評・紹介〕
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