「東京新聞」の「こちら特報部」は、2月21日の記事でHPに掲載された安倍夫人の挨拶や、手紙、寄付の払い込み取扱書などの写真を掲載するとともに、「幼稚園では『教育勅語』 差別問題も」「保護者『軍国』じみている」などの見出しで「森友学園」への【国有地払い下げ】問題を特集していました。
2月26日の朝刊でも、「『親学』こそ源流」との見出しで、「親学推進議員連盟」の初代会長を務めた安倍首相により、「戦時家庭教育指導要綱」と似ている「家庭教育支援法案」が党内の了承手続きを終えたことの危険性が「森友学園」問題との関連で指摘されていました。
そして、今日(2月28日)の「こちら特報部」(25面)では、「否定された軍国主義の要」である『教育勅語』を教育の中心に据えようとする「森友学園」の問題を特集し、安倍首相夫人が2015年5月の講演で、「教育方針は大変主人も素晴らしいと思っている」と褒め称えていたことなどを紹介するととともに、憲法学者・小林節氏の「公教育では『違憲』認可論外」との見解を紹介していました。
「森友学園」問題と「教育勅語」の問題を分析したこの記事は、戦前の日本における教育現場を分かり易く視覚的に再現したような「森友学園」問題の根幹に迫っていると思えます。
* * *
この記事は「森友学園」が計画する小学校では、「教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成」を目的としているが、このような教育方針は戦前の価値観の復活をめざす「日本会議」の方針とまったく重なっていると言えよう。
なぜならば、島薗進氏が指摘しているように、「教育勅語」では「父母への孝行、夫婦の和、博愛、義勇奉公など十二の項目が列挙されて」おり、「儒教の徳目に対応するような、ある程度の普遍性をもつ道徳規範」も記されているが、「始まりと終わりの部分で天皇と臣民の間の紐帯、その神的な由来、また臣民の側の神聖な義務について」述べられているという構造を持っているからである(『国家神道と日本人』岩波新書)。
(図版は「ウィキペディア」より、クリックで拡大できます)
「教育勅語」では、臣民の忠孝が「国体の精華」とたたえられているが、「国体」という概念は、「神武創業ノ始」からあるものではなく、「会沢正志斎が『新論』の第一部に「国体」という篇名をつけ、日本の政体のあるべき姿」を論じたことに由来していた(小島毅『増補靖国史観』ちくま学芸文庫、38頁)。
しかも、『新論』が刊行された翌年の一八五七年に朝廷から「攘夷を進めるようにとの密勅が水戸藩に降った」ことから、「国体」という概念は幕末の「尊王攘夷」のイデオロギーとの強い結びつきも持つようになり、「神の意を奉じる天皇の軍隊」が行う戦争は、「聖戦」と位置づけられるようになったのである(同書、65~67頁)。
コメントを残す