トップページの構造が複雑になりましたので、新たに〈目次〉と〈司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法観〉、および〈黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観〉のページを追加しました。
→目次
→司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法観
→国民の安全と経済の活性化のために脱原発を
安倍首相は伊勢神宮への参拝の後で、「国民の皆さまとともに、新しい国づくりを本格的に始動してまいります」と発言しましたが、「改憲」を目指すことを明言した安倍首相の意向にそって、今年も憲法改正署名簿が、多くの人々が初詣に訪れる各地の神社に置かれているようです(太字は引用者、憲法改正署名簿の写真はKei氏の2015年12月30日のツイッターを参照)
しかも、安倍首相とともに訪れた真珠湾で平和のメッセージを発していた稲田防衛相は帰国して靖国神社を参拝した後では「神武天皇の偉業に立ち戻り」と語っていました。
すなわち、彼らが重視しているのは「国民の意見」ではなく、戦前の価値観への回帰を目指している「日本会議」や「神社本庁」の意向であるのは明白であると思えます。
それゆえ、『マクベス』の名台詞(セリフ)――「きれいはきたない、きたないはきれい」をもじってツイッターには次のように記しました。「戦争法」を強行採決したばかりでなく危険な原発の再稼働を進め、神社で改憲の署名を集めている「安倍政権」と「日本会議」の「標語」の実態は、「美しいはあやしい、新しいは古い」、危険なものであると考えています。
実際、「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」という『生命の実相』の記述を「ずっと生き方の根本に置いてきた」と語っていた稲田朋美氏を防衛大臣に任命した安倍自公政権は、「戦争法」に続いてオリンピックを名目として、「共謀罪」なども視野に入れて動き始めています。
安倍自民党だけでなく公明党もこの「共謀罪」を強くは批判していないようですが、創価学会はかつて治安維持法によって徹底的に弾圧された歴史を持っています。さらに安倍政権が明治維新150周年に向けて「明治維新の映画支援検討」との報道も伝えられていますが、「神武天皇の偉業に立ち戻る」ために明治維新の際して行われたのは「廃仏毀釈」の運動で、大切な仏像などが破壊されたのです。
(破壊された石仏。川崎市麻生区黒川。写真は「ウィキペディア」より)
リンク→日本国憲法施行70周年をむかえて――安倍首相の「改憲」方針と〈忍び寄る「国家神道」の足音〉関連記事を再掲
司馬遼太郎は長編小説『翔ぶが如く』で、山県有朋について「『国家を護らねばならない』/と山県は言いつづけたが、実際には薩長閥をまもるためであり、そのために天皇への絶対的忠誠心を国民に要求した」と書いていましたが、それは「日本会議」を基盤とした「安倍政権」にも当てはまるでしょう。
「安倍政権」と「日本会議」の思想の危険性については、拙著『ゴジラの哀しみ』の第二部〈ナショナリズムの台頭と「報復の連鎖」 ――『永遠の0(ゼロ)』の構造と隠された「日本会議」の思想〉で考察しましたが、私のホームページのトップページでも〈司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法観〉のページを独立させました。
また、「神国思想」の影響下にあった政治家や軍部は、太平洋戦争での敗戦が明らかになっても、元寇の際に「神風」が吹いたような奇跡が起きて敵国は負けると信じていたように、安倍政権の危険性は、福島第一原子力発電所の事故が、ガダルカナル島の玉砕のような事態であったにもかかわらず、「大本営」の発表と同じように事故を軽微にみせることで、原発の稼働を押し進めています。
(「キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)」の写真)
それゆえ、トップページには〈黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観〉のページも独立させて、映画をとおして核エネルギーの危険性を強く訴えていた初代の映画《ゴジラ》の本多猪四郎監督と映画《夢》の黒澤明監督の核エネルギー観をまとめました。
(2017年1月23日、改訂)
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