謹賀新年
夏目漱石の歿後100周年は、政治的には厳しい出来事が続いた1年でしたが、夏目漱石と正岡子規の生誕150周年にあたる今年は、なんとか若者が未来に希望の持てる年になることを念願しています。
→『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館、2015年)
前著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』では、木曽路を旅して「白雲や青葉若葉の三十里」という句を詠み、東京帝国大学を中退して新聞『日本』の記者となった正岡子規の眼差しをとおして『坂の上の雲』を読み解き、帝政ロシアと「明治国家」との教育制度や言論政策の類似性に注目することで、「比較」や「写生」という方法の重要性を明らかにしました。
注目したいのは、幕末の尊皇攘夷運動に強い影響を与えた頼山陽を高く評価した山路愛山の史論「頼襄(のぼる)を論ず」(明治二十六年一月)の問題点を「人生に相渉るとは何の謂ぞ」(『文学界』第2号)で指摘した北村透谷の厳しい批判が、司馬遼太郎の徳富蘇峰批判にも通じていることです。
この問題は現在の安倍政権の歴史認識にもつながるので、北村透谷と山路愛山や徳富蘇峰との間で繰り広げられた「史観論争」をも視野に入れて、正岡子規や夏目漱石、そして島崎藤村の文学観をとおして安倍政権の宗教政策や教育政策の問題点を明らかにする『絶望との対峙――明治のグローバリズムと『罪と罰』の受容』(仮題、人文書館)を5月の連休が終わる頃までには書き上げたいと考えています。
本年もよろしくお願いします。
追記:拙著の執筆が遅れていますが焦らずに、文学作品の分析をとおして「古代復帰」を目指した明治維新以降の日本の近代化の問題点を明らかにする著作にしたいと考えています。
お詫びと訂正:拙著の構想を当初は司馬遼太郎との係わりを中心に組み立てていました。しかし、政治状況などの激変に対応するために、日本におけるドストエフスキーの受容を中心に考察することに変更しました。
新著については新しい構想が固まり次第、お知らせ致します。
(2017年12月31日)
(図版は正岡子規編集・執筆『小日本』〈全2巻、大空社、1994年〉、大空社のHPより)
拙著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』の書評・紹介
(ご執筆頂いた方々に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。)
‘17.03.31 書評『比較文学』第59巻(松井貴子氏)
‘17.03.13 書評『ユーラシア研究』第55号(木村敦夫氏)
→新聞への思い 正岡子規と「坂の上の雲」(人文書館)のブックレビュー
‘16.11.15 書評 『比較文明』No.32(小倉紀蔵氏)
→『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)のブックレビュー
‘16.07.10 書評 『世界文学』No.123(大木昭男氏)
→『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)のブックレビュー
‘16.02.16 紹介 『読書会通信』154号(長瀬隆氏)
→「高橋誠一郎著『新聞への思い 正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館、2015)を推挙する」
リンク→新聞記者・正岡子規関連の記事一覧
リンク→北村透谷と内村鑑三の「不敬事件」――「教育勅語」とキリスト教の問題
リンク→安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(3)――長編小説『夜明け前』と「復古神道」の仏教観
(2017年1月4日、2月14日、5月18日、リンク先と青い字の箇所を追加)
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