NHKの朝のテレビ小説『とと姉ちゃん』の編集長花山のモデルとなった花森安治のすごいところは、広告費が結局は雑誌の骨格をも歪めることを知って、商業誌であるにもかかわらず、『暮しの手帖』でいっさい広告を取らなかったことだ。
徴兵されると「貴様らの代りは、一銭五厘の葉書でいくらでも来るんだ」と怒鳴られていた花森が、「ぼくはペンの力で、『あたりまえの暮し』を守る」と始めたのが雑誌『暮しの手帖』であった。
戦時下に大政翼賛会の宣伝部で活躍し、「屠れ! 米英/われらの敵だ/進め!一億/火の玉だ!」という標語のレイアウトも手がけていた花森は「ぼくは、確かに戦争犯罪をおかした」と認め、「これからは絶対だまされない、だまされない人たちを増やしていく」との決意を語っていた。
テレビ中毒者が増加することを案じた花森安治は、「テレビ放送は朝10時から夜10時まで」とも1965年に雑誌で提案していた(「花森安治と『暮しの手帖』の歩み」より)。それは受動的な視聴により「だまされる人たちが増える」ことを心配していたのだと思える。
ニュースや大河ドラマなど「事実」を伝えないNHKの放送はほとんど見なくなっているので、見ないだけでなく見ると苦痛を与えられるNHKに対しては、視聴料の返還運動でも起こそうとも考えたりしているこの頃だが、朝のドラマ『とと姉ちゃん』は面白い。
1969年に取材中に倒れて入院した花森安治は「これからの世の中、どう考えたって悪くなる。荒廃する」との見通しを記すとともに、「ぼくらこんどは後へひかない」とも伝えていた。
『暮しの手帖』の名編集長・花森安治にはその風貌と迫力から、「ゴジラ」というあだ名が付けられていたとのことである。しかし、その後の「ゴジラ」が激しく変貌しただけでなく、テレビや新聞などもかつての「大政翼賛会」の頃に近づいているように見える。映画《ゴジラ》の本多監督だけでなく、花森の「哀しみ」も深いだろう。
映画《ゴジラ》を撮った本多猪四郎監督は、「『ゴジラ』は原爆の申し子である。原爆・水爆は決して許せない人類の敵であり、そんなものを人間が作り出した、その事への反省です」と語っていた。
「ゴジラ」と呼ばれた花森安治もこう書いていたのである。「民主々義の<民>は 庶民の民だ/ぼくらの暮しを なによりも第一にする ということだ/ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ/ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ/それがほんとうの<民主々義>だ」。
編集者としての花森のすばらしさは、そのような重いテーマが雑誌の前面に出ることを抑えて、温かく手作り感と読み応えのある雑誌を作り上げていたことだろう。
安倍政権に追随するようなニュースや大河ドラマを製作しているNHKだけでなく民放や大新聞も、日本だけでなく、世界中で再び「戦争」に向けた「プロパガンダ」と歯車が回り始めたと思える今こそ、「プロパガンダ」に侵されることを拒んで広告を取らなかった花森安治と『暮しの手帖』の精神を学んでほしい。
なお、本稿は『「暮しの手帖」初代編集長 花森安治』((『暮しの手帖』別冊、2016年7月、臨時増刊号)の4章「遺言――ぼくには一本のペンがある」を中心に感想を記した。1章「仕事――この国の暮らしを変えるために」、2章「美学――手からつくられるものの美しさ」、3章「横顔――人間・花森安治」でも、多彩で誠実な花森安治の人間的な魅力が伝えられている。
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