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近著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画)の発行に向けて

近著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画)の発行に向けて

ゴジラ

(図版は露語版「ウィキペディア」より)

今回の選挙でも「改憲」の問題はまたも隠される形で行われるようになりそうですが、日本の未来を左右する大きな争点ですので、今年中にはなんとか「世田谷文学館・友の会」の講座で発表した「『坂の上の雲』の時代と『罪と罰』の受容」を中核とした本を書き上げたいと思っていました。

しかし、今朝のニュースでも原子力規制委員会が「40年廃炉」の原則をなし崩しにして、老朽原発に初の延長認可を出したとのニュースが報道されていたように、核戦略をも視野に入れた安倍政権や目先の利益にとらわれた経済界の意向に従って、地震大国であり火山の噴火が頻発しているにもかかわらず、川内原発などの再稼働に舵を切った自公政権の原発政策は、これまでこのブログで指摘してきたように国民の生命や財産を軽視したきわめて危険なものです。

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また、68回目の終戦記念日の安倍首相の式辞では、これまで「歴代首相が表明してきたアジア諸国への加害責任の反省について」はふれられておらず、「不戦の誓い」の文言もなかったことが指摘されています。

終戦記念日と「ゴジラ」の哀しみ

一方、一九九六年に起きたいわゆる「司馬史観」論争では、「新しい歴史教科書をつくる会」を立ち上げた藤岡氏が『坂の上の雲』を「戦争をする気概を持った明治の人々を描いたと讃美する一方で、きちんと歴史を認識しようとすることを「自虐史観」という激しい用語で批判していました。

しかし、このような考えはむしろ司馬氏の考えを矮小化し歪めるものと感じて『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版企画、2002年)を発行しました。なぜならば、作家・井上ひさし氏との対談で、戦後に出来た新しい憲法のほうが「昔なりの日本の慣習」に「なじんでいる感じ」であると語った司馬氏は、さらに、「ぼくらは戦後に『ああ、いい国になったわい』と思ったところから出発しているんですから」、「せっかくの理想の旗をもう少しくっきりさせましょう」と語り、「日本が特殊の国なら、他の国にもそれも及ぼせばいいのではないかと思います」と主張していたからです(「日本人の器量を問う」『国家・宗教・日本人』)。

最近になって相次いで「日本会議」に関する著作が出版されたことにより、現在の安倍政権と「新しい歴史教科書をつくる会」との関係や、『永遠の0(ゼロ)』の百田直樹氏と「日本会議」が深く繋がっていることが明らかになってきました。

菅野完著『日本会議の研究』(扶桑社新書)を読む

国民の生命や安全に関わる原発の再稼働や武器輸出などが「国会」で議論することなく、「日本会議に密着した政治家たちが」「内閣の中枢にいる」(『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』)閣議で決まってしまうことの危険性はきわめて大きく、戦前の日本への回帰すら危惧されます。

『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) を読む

憲法学者の樋口陽一氏が指摘しているように、「法治国家の原則が失われており、専制政治の状態に近づいている。そういう状態に、我々は立っている」(『「憲法改正」の真実』)のです。

樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)を読む

それゆえ、原爆や原発の問題や歴史認識などの問題を可視化して掘り下げるために、『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』と題した映画論を、急遽、出版することにしました。

参議院選挙には間に合いそうにありませんが、事前に出版の予告を出すことで、日本の自然環境を無視して原発の稼働を進め、「戦争法」を強行採決しただけでなく、「改憲」すら目指している安倍政権の危険性に注意を促すことはできるだろうと考えています。自分の能力を超えた執筆活動という気もしますが、このような時期なので、なんとか6月末頃までに書き上げて出版したいと考えています。

(2016年11月2日、リンク先を追加)

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の「あとがき」を掲載

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