「はじめに」で記したように最近の相次ぐ出版により「つくる会」が生まれた1996年が日本の歴史の大きな転換点になっていたことが明らかになりました。それゆえ、「ナショナリズムの克服――『ひとびとの跫音』考」という題名で発表し、現在は日本ペンクラブの「電子文藝館」に掲載中の論考を〈司馬遼太郎の徳富蘇峰批判――「新しい歴史教科書をつくる会」の教育観と歴史認識をめぐって〉と改めてHPに掲載してきました。
しかし、少し題名が抽象的であるばかりでなく、本稿で論じている徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』との関係は、安倍晋三氏が初代の事務局長を務め、現在は内閣総理大臣補佐官の衛藤晟一(えとうせいいち)氏が幹事長を務めている「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の方が近いと思われます。
それゆえ、題名をより内容に近づけて「司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』――歴史認識と教育の問題をめぐって」と改題します。
目次
1、グローバリゼーションとナショナリズム
2、父親の世代と蘇峰・蘆花兄弟の考察――『ひとびとの跫音』の構成をめぐって
3,大正時代と世代間の対立――徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』を中心に
4、ナショナリズムの批判――陸羯南と加藤拓川の戦争観と『大正の青年と帝国の前途』
5、治安維持法から日中戦争へ――『大正の青年と帝国の前途』と昭和初期の「別国」への道
6、窓からの風景――「国家神話をとりのけた露わな実体」への関心
7、司馬遼太郎の予感――「帝国の前途」から「日本の前途」へ
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