はじめに
今年は「忠君愛国」的な視点からの歴史教育の必要性を唱え、青年に対しては「白蟻」のように勇敢に死ぬことを求めた『大正の青年と帝国の前途』(1916年)を徳富蘇峰が発行してからちょうど百年に当たる。
この書については、大正デモクラシーの立役者となった吉野作造(1878~1933)の「蘇峰先生の『大正の青年と帝国の前途』を読む」があるが、この時代のことは遠い昔となっており詳しい内容はあまり知られていない。
一方、この書における「大正の青年」の分析に注目した「新しい歴史教科書を作る会」理事の坂本多加雄氏は、「公的関心の喪失」という明治末期の状況が、「『英雄』観念の退潮と並行している」ことを蘇峰が指摘し得ていたとして高く評価した*1。そして、「若い世代の知識人たち」からは冷遇されたこの書物の発行部数が百万部を越えていることを指摘して、「一般読者の嗜好」には適うものであったとしながら、蘇峰を「巧みな『物語』制作者」であるとし、「そうした『物語』によって提示される『事実』が、今日なお、われわれに様々なことを語りかけてくる」として、蘇峰の歴史観の現代的な意義を強調していた*2。
第一次世界大戦の時期に書かれた蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』の再評価は、「大正」を「平成」と入れ替えただけで、「グローバリゼーション」の圧力や「テロ」との「新しい戦争」を強調しながら、青少年に対して「愛国心」や戦争への覚悟を求めるような教育改革の方向性と重なっているだろう。
この意味で注目したいのは、安倍首相が今年の参議院選挙では「改憲」を目指すと明言したことである。安倍首相が事務局長を務めた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」は、「新しい歴史教科書を作る会」の翌年、1997年に設立されていたが、その名称は蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』を強く意識して命名されているように思える。
司馬遼太郎氏の歴史認識に関しては、「『明るい明治』と『暗い昭和』という単純な二項対立史観」であり、「大正史」を欠落させていると厳しく批判されることが多い*3。しかし、本文で詳しく考察するように日露戦争を考察した『坂の上の雲』の後日譚ともいえるような性格をもつ『ひとびとの跫音』(一九七九~八〇)において司馬氏は、子規の死後養子である正岡忠三郎など大正時代に青春を過ごした人々を主人公として描いていた。
それゆえ、「司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』――歴史認識と教育の問題をめぐって」と題した本稿では、蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』の記述と比較しながら、この小説を詳しく分析することにしたい。この作業をとおして、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ち上げた安倍首相の意図にも迫ることができるだろう。
本稿の構成は下記のとおりである。
1、グローバリゼーションとナショナリズム
2、父親の世代と蘇峰・蘆花兄弟の考察――『ひとびとの跫音』の構成をめぐって
3,大正時代と世代間の対立――徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』を中心に
4、ナショナリズムの批判――陸羯南と加藤拓川の戦争観と『大正の青年と帝国の前途』
5、治安維持法から日中戦争へ――『大正の青年と帝国の前途』と昭和初期の「別国」への道
6、窓からの風景――「想念のなかで、子規の視線」と合わせる
7、後書きに代えて、司馬遼太郎の不安――「帝国の前途」から「日本の前途」へ
註
*1 坂本多加雄『近代日本精神史論』講談社学術文庫、一九九六年、一二九~一三六頁。
*2 同上、二八九~三一四頁。
*3 中村政則『近現代史をどう見るか――司馬史観を問う』岩波ブックレット、1997年参照。
(2016年5月18日。改題に伴って内容を大幅に改訂)
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