IS(イスラム国)によると思われるテロがフランスやベルギーで相次いで起きたことで、21世紀は泥沼の「戦争とテロ」の時代へと向かいそうな気配が濃厚になってきています。こうした中、安倍政権が「特定秘密保護法案」や「安全保障関連法案」を相次いで強行採決したことにより、度重なる原水爆の悲劇を踏まえて核兵器の時代に武力によって問題を解決しようとすることの危険性を伝えるべき日本が、原発や武器の輸出に踏み出しました。
しかも、「戦後70年」の節目として語られた昨年の「談話」で安倍首相は、それよりもさらに40年も前の「日露戦争」の勝利を讃える一方で、「憲法」や「国会」の意義にはほとんどふれていませんでした。
一方、『坂の上の雲』で日露戦争を描いた作家の司馬遼太郎氏は、「『坂の上の雲』を書き終えて」というエッセイでは「政治家も高級軍人もマスコミも国民も神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と厳しく批判し、さらに「“雑貨屋”の帝国主義」では、「日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦」までの40年を「異胎」の時代と名付けていました(『この国のかたち』第1巻、文春文庫)。
日露戦争を始める前の1902年に大英帝国を「文明国」と讃えて「日英同盟」を結んでいた日本は、1941年には今度はアメリカとイギリスを「鬼畜米英」と呼んで、太平洋戦争に突入していたのです。なぜ、日英同盟からわずか40年で太平洋戦争が起きたのでしょうか。
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ここで注目したいのは、日露戦争の勝利を讃えた「安倍談話」と、普仏戦争に勝ったドイツ民族の「非凡性」を強調し、ユダヤ人への憎しみをかき立てることで第一次世界大戦に敗れて厳しい不況に苦しむドイツ人の好戦的な気分を高めることに成功していたヒトラーの『わが闘争』の類似性です。
「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒトラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか」と問いかけた作家の司馬遼太郎氏は、「政治家も高級軍人もマスコミも国民も神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と厳しく批判していました(「『坂の上の雲』を書き終えて」『歴史の中の日本』中公文庫)。
リンク→「安倍談話」と「立憲政治」の危機(2)――日露戦争の賛美とヒトラーの普仏戦争礼賛
「特定秘密保護法」や「安全保障関連法」が強行採決で可決されたことにより、アメリカは日本の軍事力を用いることができることに当面は満足するでしょう。しかし、注意しなければならないのは、アメリカの要請によって日本の「平和憲法」を戦争のできる「憲法」へと改憲しようとしている安倍首相が、神道政治連盟と日本会議の2つの国会議員懇談会で会長と特別顧問を務めており、憲法学者の樋口陽一氏が指摘しているように自民党の憲法草案は、〈明治の時代よりも、もっと「いにしえ」の日本に向かっている〉ことです。
リンク→樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)を読む
今日(4月23日)の新聞によれば、高市総務大臣に続いて、国家の法律を担当する「法務大臣」の岩城氏も靖国神社に参拝したとのことですが、「全体主義は昭和に突然生まれたわけではなく、明治初期に構想された祭政教一致の国家を実現していく結果としてあらわれたもの」とした宗教学者の島薗進氏は、靖国神社は「国家神道が民衆に浸透するテコの役割も果たしました」と指摘しています。「みんなで渡れば怖くない」とばかりに多くの国会議員が「靖国神社」に参拝することの危険性は大きいでしょう。
リンク→中島岳志・島薗進著『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) を読む
一方、参謀本部の問題を鋭く指摘していた司馬氏は、「日露戦争が終わると、日本人は戦争が強いんだという神秘的な思想が独り歩きした。小学校でも盛んに教育が行われた」とし、自分もそのような教育を受けた「その一人」だと認めて、「迷信を教育の場で喧伝して回った。これが、国が滅んでしまったもと」であると分析して、教育の問題にも注意を促していました(「防衛と日本史」『司馬遼太郎が語る日本』第5巻)。
すなわち、一つの世代はほぼ20年で代わるので、英米との戦争を準備するころにはイギリスを「文明国」視した世代はほぼ去っていたことになるのですが、安倍政権は教育行政でも「新しい歴史教科書を作る会」などと連携して、「歴史」や「道徳」などの科目をとおして戦前への回帰を強めています。
「歴史的な事実」ではなく、「情念を重視」した教育が続けば、アメリカに対する不満も潜在化しているので、今度は20年を経ずして日本が「一億玉砕」を謳いながら「報復の権利」をたてにアメリカとの戦争に踏み切る危険性さえあるように思われるのです。
(2016年4月30日。改題と改訂)
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