(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)
気象庁が「経験したことのない地震」と呼ぶ想定外の事態にもかかわらず、原発の稼働を止めない安倍政権の原発政策からは、1954年におきた「第五福竜丸」事件の後で政府が「原発」推進に踏み切っていた当時のことが思い起こされます。
そのことについてはツイッターでもふれましたが、ここでも以前に書いた〈終戦記念日と「ゴジラ」の哀しみ〉の記事へのリンク先を示すとともに、映画《ゴジラ》において核汚染の隠蔽の問題がどのように描かれているかを確認します。
リンク→終戦記念日と「ゴジラ」の哀しみ
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安倍政権の原発政策と映画《ゴジラ》
映画《夢》などの作品でも黒澤を補佐することになる本多監督は黒澤明研究会の研究例会で映画《ゴジラ》と原爆との関連についてこう明確に語っていた。
「『ゴジラ』は原爆の申し子である。原爆・水爆は決して許せない人類の敵であり、そんなものを人間が作り出した。その事への反省です。なぜ、原爆に僕がこだわるかと言うと、終戦後、捕虜となり翌年の三月帰還して広島を通った、もう原爆が落ちたということは知っていた。そのときに車窓から、チラッとしか見えなかった広島には、今後七二年間、草一本も生えないと報道されているわけでしょ。その思いが僕に『ゴジラ』を引き受けさせたと言っても過言ではありません」。
実は、広島・長崎の被爆の後にも、その惨状は日本を統治することになったアメリカ軍の意向で隠蔽されることになり、占領軍の意向に従った日本政府はその後もアメリカなどの大国が行う核実験などには沈黙をまもっただけでなく、「第五福竜丸事件」の際にも被害の大きさの隠蔽が図られ、批判者へのいやがらせなどが起きていた。
それゆえ、本多監督は核兵器の開発に関わるような科学者を批判して、「ただ、水爆みたいなものを考えた人間というのは、いい気になって自分たちの勝手をやっていたら、自分たちの力で自分たちが完全に滅びる、自分たちだけじゃなくて、地球上のすべてのものを殺してしまうかもしれないほど人間というのは危険だ」と語っていた。
実際、映画《ゴジラ》の素晴らしさは単なる娯楽映画に留まることなく、情報を隠蔽することの恐ろしさや科学技術を過信することへの鋭い警告も含んでいたことである、たとえば、「ゴジラ」が出現した際のシーンでは、核汚染の危険性について発表すべきだという記者団と、それにたいしてそのような発表は国民を恐怖に陥れるからだめだとして報道規制をしいて情報を隠蔽した政府の対応も描き出されていた、
研究例会での本多監督の言葉は映画《ゴジラ》における最後の場面の意味を見事に説明しているだろう、すなわち、「ゴジラ」を殺すことの出来るような兵器を開発した科学者は、その兵器が悪用されることを恐れて、兵器の制作方法を知っている自分も「ゴジラ」とともに滅ぶことを選んでいたのである。
こうして、科学者の自己犠牲的な精神をも描いた《ゴジラ》は、子供も楽しめる怪獣映画の要素も備え、見事な特殊撮影で撮られたことで、九六一万人もの観客を動員するような空前の大ヒット作品となった。
(『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社、2014年、129~130頁より引用)。
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