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トルストイ『ホルストメール』とトフストノーゴフの劇《ある馬の物語》

トルストイ『ホルストメール』とトフストノーゴフの劇《ある馬の物語》

「グローバリゼーション」の強大な圧力下にますます状況が悪化している派遣社員などの問題を扱った〈「ブラック企業」と「農奴制」――ロシアの近代化と日本の現在〉という記事を2013年7月17日に掲載しました。→ http://www.stakaha.com/?p=1190

それからほぼ3年が経ちましたが、現在の日本は「国民」の生命や安全、財産にも深く関わるTPPの資料が、選挙で選ばれた国会議員の集まる「国会」に、ほとんど黒塗りにされて提出されたという「国民」が馬鹿にされるような事態に至っています。

それにもかかわらず、新聞やテレビなどのマスコミがほとんど報じないという安倍政権下の日本の現状は、情報公開が行われていなかったソ連だけでなく、厳しい検閲下におかれて「農奴制」をも是認していた帝政ロシアの言論状況とさえも似ているように思われます。

それゆえ、今回は「見ることと演じること」の第五回で論じた、すぐれた才能を持ちながらもまだらの馬だったために馬鹿にされ、こき使われた馬の一生を描いたトルストイの『ホルストメール』を劇化した《ある馬の物語》の劇評の箇所を掲載することにします。

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劇場という限られた空間内での出来事ではあるにせよ、劇は想像の力を借りて舞台に一つの世界を作り挙げる。たとえてみればそれは、世界の箱庭のようなものかもしれない。しかし、読書とは異なり、舞台には耳で聞き目で確かめられる世界が厳然として存在し、観客は客席の多くの人々と共に舞台で起きる様々な出来事を目撃し体験できるのである。それは幻想のように数刻の後には消え去る。しかしすぐれた劇は描き出した一つの世界を確実に観客の心の中に残す。

去年はモスクワ芸術座とレニングラード・ボリショイ・ドラマ劇場というソヴィエトを代表するような二つの劇団がそれぞれ三つの劇をたずさえて相次いで客演したが、私には殊に伝説的な劇『白痴』の演出家であるトフストノーゴフに率いられ、すでに世評の高い『ある馬の物語』と『ワーニャ伯父さん』の二本の他に話題作『アマデウス』を携えて来日したボリショイ・ドラマ劇場がどのような世界を作り出すのかに興味が持たれた。三つの劇はそれぞれ私に強い印象を残したが、わけても心に残ったのが『ある馬の物語』であった

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舞台は馬をつなぐ杭となる棒が数本立っているだけの簡素なものだったが(美術・コチェルギーン)、そこに綱が張られるだけで牝馬と牡馬を区別する馬小屋となり、あるいは競馬場ともなった。さらに馬を演じた役者たちは馬の形態をまねることなくその手に持ったしっぽ状の布切れを持つだけで馬になり切っていた。

トフストノーゴフはここで象徴的な事物の提示だけで細かい写実を捨て去り、残りを観客の想像力にゆだねることによって、より大きな舞台空間を創り出し得ているのだ。彼の演出は、小石やがらくたとも心を通わし得て、共通の世界を持ち得た子供の頃の想像力の拡がりと自由さを観客に与えている。

確かに『オペラ座の怪人』などの最近の劇には感嘆させられるような舞台芸術も少なくないが、しかしそれは言わば豪華なレストランでの食事のようなものに思える。一方、トフストノーゴフの演出は大自然の中での食事のように川のせせらぎが聞こえ、風の流れが感じられるのだ。

それと共にこの劇をきわ立たせるものとして馬の叫び声を挙げておきたい。

全体に、この劇ではすべての要素がお互いに支えあいながら、主題を盛り上げていたのである。トルストイの名作はトフストノーゴフという優れた演出家とレーベジェフという名優を得て、形を与えられその姿を示したと言えるだろう

ホルストメールの無邪気な鳴き声と若い牡馬としてのいななき、絶叫と心をかきむしるような悲しみの声、若い牝馬たちの性への渇望、人間として演じられたらあまりにも生々しいそれらの声は、馬の声ということで抵抗なく観客の中に入り込み、馬たちの荒々しい生の喜びと悲しみを伝え得ていた。

だが、トフストノーゴフと言えどもまだらの馬ホルストメールを演じた俳優レーベジェフなくしてはこの劇を作り得なかっただろう。劇が始まるとレーベジェフは生まれたばかりの仔馬ホルストメールが蝶とたわむれる演技で観客の心を奪ってしまう。観客はそれ以降、彼の身に振りかかる出来事に一喜一憂する――去勢される場面では身を切られるような痛みを覚え、彼が公爵に見出されて競馬に出場し一等になると我が事のように嬉しくなる。

だからホルストメールが「(人間の世界では)なるべく多くの者に『私の』という言葉をつけて言える人が幸せだということになっている。…中略…人間は良い事をしようという目的で人生を過していない。自分の物を増やそうとしているだけだ。人間と馬の違いはそこなんだ。我々の方が数段人間よりも上だ」と言う時、苦い思いを味わいながら考え込まされてしまうのである

『ある馬の物語』は1886年に発表されたトルストイの『ホルストメール』の劇化であり、すぐれた才能を持ちながらも、まだら馬だったために他の馬から馬鹿にされ、さらには去勢されてこきつかわれたあげく廃馬として殺される馬の一生が、五人編成のジプシー楽団の音楽の流れに乗って見事に描かれていた。

〈同人誌『人間の場から』(第14号、1989年)に掲載された初出時の題名は、「見ることと演じること(五)」である。再掲に際しては文体レベルの簡単な改訂を行った〉。

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