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司馬遼太郎の「明治国家」観

司馬遼太郎の「明治国家」観

『坂の上の雲』を書き上げた翌年に書いたエッセーで司馬氏は、明治維新の担い手であった竜馬については教科書に掲載されないばかりか、海軍の創設者として再評価される一九〇七年ごろまでは、語ることも「まるでタブーのようだった」ことに注意を促しています(「竜馬像の変遷」)。

そして、竜馬がその民主主義的な思想から「乱臣賊子の一人」と見なされていた記した司馬氏は、「明治国家の続いている八〇年間、その体制側に立ってものを考えることをしない人間は、乱臣賊子」とされたと書き、「人間は法のもとに平等であるとか、その平等は天賦のものであるとか、それが明治の精神であるべき」だが、「こういう思想を抱いていた人間」は、「のちの国権的政府によって、はるか彼方に押しやられてしまった」と指摘していたのです。

ただ、司馬氏は「結局、明治国家が八〇年で滅んでくれたために、戦後社会のわれわれは明治国家の呪縛から解放された」と続けていましたが、明治が四五年で終わることを考慮するならば「明治国家」が「八〇年間」続いたという記述は間違っているように思う人は少なくないと思われます。

しかし、「王政復古」が宣言された一八六八年から敗戦の一九四五年までが、約八〇年であることを考えるならば、司馬氏は「明治国家」を昭和初期にまで続く国家として捉えていたといえるでしょう。

(『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』より抜粋)

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