五街道の一つである中山道の馬籠宿で本陣・問屋・庄屋を兼務した島崎藤村の父・正樹をモデルにした青山半蔵の悲劇を描いた『夜明け前』を相馬氏は「はじめに」でこう規定しています。
「江戸と京都の中間地点の宿場に生きる一庶民の目を通して、幕末から明治維新にかけての時代の激動期を、膨大な資料を踏まえて描き切った労作である」。
主人公・青山半蔵の人物造形については、彼が「『こう乱脈な時代になって来ると、いろいろな人が飛び出すよ。世をはかなむ人もあるし、発狂する人もある』と嘆きながらも、『まあ、賢明で迷っているよりも、愚直でまっすぐに進むんだね』と自分に言い聞かせる」ような人物として描かれていと指摘しています。
らに相馬氏は、「藤村が『夜明け前』の構想を練っていた昭和二年から、これを発表しはじめた昭和四年までの日本の政情は、藤村の父正樹の生きた明治維新初期の政情と酷似している点が多い」ことにも注意を促しているのです。
さて、本書は次のような章からなっています。
一、 「夜明け前」の性格とゾライズム
二、 幕藩体制崩壊と黒船の脅威
三、 栗本鋤雲著『匏菴十種』の翻案
四、 和宮降嫁の波紋と天狗党の義挙
五、 報復劇としての王政復古クーデター
六、 戸長罷免とお粂の自殺未遂
七、 献扇事件とその余波
八、 神官罷免と生家追放
九、 万福寺放火事件の顛末
十、 平田門下・青山半蔵の最期
結、 「夜明け前」と現代
構成からもうかがえるように、本書の特徴の一つは木曽谷住民の生活を守るために奔走した国学者の青山半蔵に焦点をあてて、幕末から明治維新にかけての激動の時期を描きながらも、半蔵の言動を静かに見つめる万福寺の松雲和尚の広い視野や藤村の師でもあった栗本鋤雲(小説では喜多村瑞見)の「東西文明を見据えた公平な史観」をとおして、半蔵の思想が相対化され客観的に描かれていることです。
半蔵の思想は国学の師匠や学友、さらには自分の弟子との関係だけでなく、義兄の思想の純粋さには同感しながらも、時勢のイデオロギーに引きずられていくことへの危惧の念も示していた妻の兄・寿平次の言動をとおして批判的にも描かれています。
島崎藤村は「田中ファシズム内閣が、〈国家〉の名において個人の言論・思想を封殺する狂気を実感しながら、『夜明け前』の執筆と取り組んでいたのである」と相馬氏は記しています。
司馬氏が「昭和初期の別国」と呼んだこのような暗い時代に、木曽路の馬篭宿を視座として黒船の来航に始まる幕末から西南戦争に至る激動の時代を見事に活写した藤村の観察力と気力には改めて感心させられます。
青山半蔵の人物造形が、北村透谷をモデルとした長編小説『春』の主人公・青木駿一が下敷きにされていることをたびたび指摘していた相馬氏は、「島崎正樹に〈青山〉姓を名告らせたのは、先に北村透谷を〈青木〉姓にしたことと無関係ではあるまい」とも記しています。
ただ、透谷を深く敬愛していた藤村は「彼は私達と同時代にあつて、最も高く見、遠く見た人の一人だ。そして私達のために、早くもいろいろな支度をして置いて呉れたやうな気がする」とも書いていました。
このことに留意するならば、北村透谷の形象は主人公の青山半蔵のモデルとなっているだけでなく、喜多村瑞見(モデルは栗本鋤雲)の「東西文明を見据えた公平な史観」にも分与されているのではないかと私は考えています。
ともあれ、青山半蔵の人物造形と北村透谷との関係に深く踏み込んで分析しているばかりでなく、透谷と藤村におけるテーヌの〈民族・環境・時代〉の三因子の受容についても指摘しているこの著書から私は強い知的刺激を受けました。
このHPの読者の方々にも強く推薦したい著書です。
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