「事実(テキスト)の軽視の危険性」と題した第3回で考察したように、文芸評論家の小林秀雄は「殺人はラスコオリニコフの悪夢の一とかけらに過ぎぬ」と書き、「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と続けていました。
そして小林は、「罪と罰とは作者の取り扱つた問題といふよりも、この長編の結末に提出されている大きな疑問である、罪とは何か、罰とは何か、と、この小説で作者が心を傾けて実現してみせてくれてゐるものは、人間の孤独といふものだ」と記し、「罪と罰」の問題を「孤独」の問題に矮小化していました。
問題は、このように「良心」の問題を矮小化することによって、小林が帝政ロシアや日本における「裁判制度」の問題から読者の視線を逸らしていたことです。
たとえば、王や皇帝に絶対的な権力が与えられていた王政や帝政の時代には、権力者の横暴や無法を抑えることができずに、多くの人々が無実の罪で苦しんでいました。
そのためにヨーロッパやロシアにおいては、彼らの絶対的な権力にも対抗できるような「個人の良心」が重要視されたのであり、「良心」とは自らの生命をも危険にさらしても、不正をただすことを求めるような激しい概念であるといえるでしょう。
近代的な法制度を持つ国家では、近代の法律でも権力者が行う不正を監視するためにも、個人の「良心」が重要視され、日本の「憲法」でも裁判官は、中立の立場で公正な裁判をするために、「その良心に従い独立してその職権を行い、日本国憲法及び法律にのみ拘束される」と(裁判官の職権行使の独立)が定められています。
しかし、裁判制度が不備な帝政ロシアでは、長編小説『虐げられた人々』で描かれているように、ワルコフスキー公爵の策略によって裁判の被告となったイフメーネフ老人が、有力なコネや賄賂を使わなかったために裁判に敗け、自分の村を手放さねばならなくなっていたのです。
法学部で学んでいたラスコーリニコフが自分で「悪人」を裁くという「犯罪」に踏み切った遠因は、皇帝が絶対的な権力を握る帝政ロシアでは、公平な裁判が行われず、そのような状況に彼が深く失望していたことが挙げられるでしょう。
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一方、司馬氏が『翔ぶが如く』で詳しく描いていたように、「軍国主義的な憲法」を持つドイツ帝国をモデルとしていた日本では、今も裁判制度に次のような問題点を抱えています(以下、「ウィキペディア」から引用します)。
「裁判官は建前上、独立して裁判を行うことが憲法に定められているものの、下級裁判所の裁判官についての人事権は最高裁判所が握っており、最高裁判所の意向に反する判決を出すとその裁判官は最高裁判所から差別的処遇(昇進拒否・左遷など)を受ける問題などは、米国の法学界からも指摘されている[29]。
そのことから、日本の裁判所の司法行政は、人事面で冷遇されることを恐れて常に最高裁判所の意向をうかがいながら権力者に都合のよい判決ばかりを書く裁判官(通称:ヒラメ裁判官)が大量に生み出される原因になっていると批判されている[30]。
また、憲法80条1項では、下級裁判所の裁判官の候補者を指名する権限は最高裁判所にあると定められており、裁判官の道を希望する司法修習生たちの中でも最高裁判所の意向にそぐわないと判断された者は裁判官への任官を一方的に拒否されるという問題も指摘されている。(中略)
最高裁判所裁判官の人事権は、憲法上は内閣が握っている。」
このような現状から、上級の裁判所にいくほどに内閣の影響力が強くなり、「国民」の意向とは反対の判決も行われることになるのです。
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このことが明白に現れたのが、第二次安倍内閣が強引な人事により、「内閣法制局長官」を変えて、昨年の国会審議においてそれまでの自民党の「集団的自衛権」の見解を破棄したことでしょう。
この問題について九州大学法学部教授の南野森氏は、2014年2月7日のブログでこう記していました。
〈第2次安倍内閣は、去る2013年8月8日、内閣法制局の山本庸幸長官を退任させ、後任に元外務省国際法局長で駐仏大使の小松一郎氏を任命した。この人事は、内閣法制局の次長や部長どころか参事官すら経験したことのない完全に「外部」の人間が、しかも2000年まで他省庁とは異なる独自の採用試験を実施していた外務省の人間が、いきなり長官ポストに抜擢されたものであり、戦後の内閣法制局の歴史において異例中の異例、初めてづくしの驚愕人事であった。〉
(2016年1月25日、青字の箇所を追加)
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