本日、『世界文学』第122号が届きました。
そこにはロシア文学関係では木下豊房氏の「ドストエフスキー文学翻訳の過去と現在」や、杉山秀子氏の「夏葉のチエホフ受容とその翻訳」などの論文が掲載されていますが、「作品の解釈と『積極的な誤訳』――寺田透の小林秀雄観」と題した私の小論も掲載されています。
論文の「はじめに」に記したように、寺田透の小林秀雄観についてはかねてから強い関心を持っていましたが、自分の感性によってドストエフスキーのテキストを読み込むことで、独自な解釈を行った小林秀雄の方法と同じように研究書には依拠せずに書きたいと考えていたために、手つかずのままでした。
拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』を上梓したあとで調べ初めてみるとすぐれた卓見が随所に見つかりましたので、小林の翻訳や文体についてだけでなく、『ゴッホの手紙』などの伝記的研究の問題点についても鋭い分析を行っていた寺田透の小林秀雄観を「主な研究」に掲載します。
リンク→「様々な意匠」と隠された「意匠」
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