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大阪からの危険な香り――弁護士ルージンと橋下徹氏の哲学

大阪からの危険な香り――弁護士ルージンと橋下徹氏の哲学

〈「道」~ともに道をひらく~〉というテーマで大阪で行われた先日の産学共働フォーラムの一般発表発表で私は、『坂の上の雲』で機関銃や原爆などの近代的な大量殺戮兵器や軍事同盟の危険性を鋭く描いていた司馬氏が、高田屋嘉兵衛を主人公とした長編小説『菜の花の沖』で、江戸時代における「軍縮と教育」こそが日本の誇るべき伝統であると描いていたことを比較文明学的な視点から確認しました。

リンク商人・高田屋嘉兵衛の自然観と倫理観――『菜の花の沖』と現代

しかし、2015年11月22日に行なわれる大阪府市長ダブル選挙についての各社世論調査では、政界引退を表明している橋下徹・大阪市長が率いる「大阪維新の会」系の松井府知事と吉村候補が有利との選挙予測が出たとのことです。

他府県のことなので、あまり関与すべきではないとも考えて発言を控えていましたが、国政選挙にも関わることなので、このブログでも取り上げることにしました。

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実は、〈なぜ今、『罪と罰』か(4)――弁護士ルージンと19世紀の新自由主義〉と題したこのブログの記事でルージンという弁護士について論じた際に思い浮かべたのは、権力を得るためには何をしてもよいと考えているかのように思える弁護士の橋下氏のことでした。

「経済学の真理」という視点から「科学はこう言う。まず何ものよりも先におのれひとりを愛せよ、なんとなればこの世のすべては個人の利害にもとづくものなればなり」と主張したルージンは、ドゥーニャとの結婚の邪魔になるラスコーリニコフを排除するために、策略をもってソーニャを泥棒に陥れようとしていました。

一方、地方行政のトップであり、かつ法律を守るべき立場の弁護士でもある橋下氏が、公約を覆して府民や市民の多額の税金を費やして自分の有利になるような選挙を行うことが正当化されるならば、民主政治だけでなく学校教育の根本が揺らぐようになる危険性があると思われます。

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かつての日本では、約束を守ることや誠実さが人間に求められていましたが、そのような価値観が大きく変わり始めていると感じたのは、大学で『罪と罰』の授業を行い始めてから10年目のころでした。

その授業で私はラスコーリニコフの「非凡人の理論」が、後にヒトラーによって唱えられる「非凡民族の理論」を先取りしている面があり、その危険性をポルフィーリイに指摘させていたことに注意を促していました。

しかし、20世紀の終わりが近づいていた頃から、ヒトラー的な方法で権力を奪取することも許されると、ヒトラーを弁護する感想文が出てきたのです。人数としては100人ほどのクラスに数名ですから少ないとは言えますが、そのように公然と主張するのではなくとも内心ではそのように考える学生は少なくなかったのではないかと思えるのです。

「今の日本の政治に一番必要なのは、独裁ですよ」と語ったとも伝えられる橋下徹市長の手法は、まさにこのような学生たちの主張とも重なっているようにも感じられます。

「島国」でもある日本では「勝ち馬に乗る」のがよいという価値観も強いのですが、ヒトラーが政権を取った後のドイツや岸信介氏が商工大臣として入閣した東條英機内閣に率いられた日本がその後、どのような経過をたどって破滅したかに留意するならは、ギャンブル的な手法での権力の維持を許すことの危険はきわめて大きいと思われます。

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