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原子力艦の避難判断基準の見直しと日本の「原子力の平和利用」政策

原子力艦の避難判断基準の見直しと日本の「原子力の平和利用」政策

「東京新聞」の朝刊(11月7日)に「原子力艦も5マイクロシーベルト超に 避難判断基準原発と統一」との見出しで、下記の記事が掲載されていました。

比較的小さな出来事のようですが、安倍政権の「安全保障」政策を検証する上でも重要な出来事と思えますので、以下に引用します。

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米海軍横須賀基地(神奈川県横須賀市)に配備されている空母など原子力艦で事故が起きた際の避難判断基準を定めた国の災害対策マニュアルが、近く改訂されることになった。住民が避難や屋内退避を始める放射線量を毎時五マイクロシーベルト超に引き下げる。これまでは原発事故の二十倍の同一〇〇マイクロシーベルトだった。

有識者や関係省庁による作業委員会の初会合が六日、基準を原発の災害対策指針と合わせることが合理的との結論で一致した。国の中央防災会議の課長クラスによる会議を一カ月以内に開き、マニュアルを改訂する。横須賀市が基準の見直しを求めていた。

作業委の初会合は東京・永田町で開催。河野太郎防災相は「基準が原発と違っていることは論理的におかしい」と指摘した。

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この記事を読んで私が思い出したのは、地震大国という地勢的な条件や1954年の「第五福竜丸」事件など原水爆の悲惨さから目をそらして、日本が原子力大国への道を歩み出し始めた1955年の「原子力基本法」成立前後のことでした。

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(「キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)」の写真。図版は「ウィキペディア」より)

このことについては拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)の第二章「映画《生きものの記録》と長編小説『死の家の記録』」で次のように考察していました。

〈アメリカ政府の「原子力の平和利用」政策に呼応するように一九五五年に「原子力潜水艦ノーチラス号」を製造した会社の社長を「原子力平和利用使節団」として招聘した読売新聞社の正力松太郎社主は、映画《生きものの記録》が公開されたのと同じ一一月からは「原子力平和利用大博覧会」を全国の各地で開催し、「原子力発電」を「平和産業」として「国策」にするための社運を賭けた大々的なキャンペーンを行った。

この結果、原水爆反対運動は急速に冷え込むこととなり、「民衆」の本能的な怖れや一部の良心的な科学者たちの激しい反対にもかかわらず、一二月一九日には「原子力基本法」が成立した。「原子力基本法」を成立させた日本政府は、「原子力の平和利用」を謳いながら、再び経済面を重視して原子力発電の育成を「国策」として進めるようになり、原子力発電の危険性を指摘した科学者を徐々に要職から追放しはじめた。〉

原子力艦の避難判断基準が「原発と違っていることは論理的におかしい」と指摘した河野太郎防災相の発言はきわめて正当なのですが、私たちは敵と戦うことを目的としている原子力空母が日本の基地に配置されていること自体を「間違っている」と厳しく批判しなければならないでしょう。

「東京新聞」の解説記事では、<原子力空母>について「原子炉で核燃料を燃やすことで動く航空母艦。原子炉の仕組みは普通の原発とほぼ同じ。燃料の交換が少なくてすみ、安定した航行ができるとされる」と説明されています(太字は引用者)。

しかし、敵への威嚇だけでなく交戦を目的としている以上、<原子力空母>が攻撃されて甚大な被害を蒙り、原子炉が破損することも十分に考えられるのです。

そのような事態をも考慮しないのであれば、太平洋戦争以降のアメリカ軍の戦略や安倍政権の「安全保障」政策も、「戦艦大和」を「不沈戦艦」とした旧日本軍と同じような安全神話の上に成り立つ危険な戦略であると思われます。

 

岸・安倍両政権の「核政策」についての記事

リンク安倍首相の「核兵器のない世界」の強調と安倍チルドレンの核武装論

リンク→原子雲を見た英国軍人の「良心の苦悩」と岸信介首相の核兵器観――「長崎原爆の日」に(1) 

リンク→「安全保障関連法案」の危険性(2)――岸・安倍政権の「核政策」

リンク→「安全保障関連法案」の危険性――「国民の生命」の軽視と歴史認識の欠如

 

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