一、家庭小説としての『罪と罰』
長編小説『罪と罰』にはラスコーリニコフの犯罪をめぐる主な筋の他に、ラスコーリニコフの妹ドゥーニャをめぐる筋やマルメラードフ家の物語があると指摘した川端香男里氏は、この小説が「一家族の運命の浮沈を描く」イギリスの「『家庭小説』の伝統に由来」してもいると記しています。
この指摘は『罪と罰』を考察する上できわめて重要だと思われます。なぜならば、ラスコーリニコフは犯行後に妹のドゥーニャと話した後で「もしおれがひとりぼっちで、だれからも愛されることがなかったら、おれだってけっしてだれも愛しはしなかっただろうに! こんなことは何もなかったろうに!」(六・七)と考えているからです。
しかも、母親のプリヘーリヤは「ねえ、ドゥーニャ、わたしはおまえたちふたりをつくづく見ていたけど、ほんとにふたりとも瓜(うり)二つだねえ、顔がというより、気性がさ」(三・四)と語っているのです。
それゆえ、ラスコーリニコフの行動や「良心」観に迫るためには、ラスコーリニコフを厳しく追い詰める予審判事のポルフィーリイや、ラスコーリニコフの先行者ともいえるスヴィドリガイロフだけでなく妹ドゥーニャの言動をも詳しく分析する必要があるでしょう。
たとえば、ドストエフスキーは本編の終わり近くで「兄さんは、血を流したんじゃない!」と語った妹のドゥーニャに対してラスコーリニコフに、「殺してやれば四十もの罪障がつぐなわれるような、貧乏人の生き血をすっていた婆ァを殺したことが、それが罪なのかい、」と問わせたばかりでなく、さらに自分が犯した殺人と比較しながら、「なぜ爆弾や、包囲攻撃で人を殺すほうがより高級な形式なんだい」と反駁させていました。
この会話に注目するならば、ラスコーリニコフの「殺人」は単に犯罪としてだけでなく、「戦争」とも比較して考察する必要性がでてくると思われます。
二、テキストの自分流の解釈の危険性――小林秀雄の『罪と罰』論
一方、文芸評論家の小林秀雄は戦前に書いた「『罪と罰』について Ⅰ」において、「(非凡人には――引用者注)その良心に従つて血を流す事が許されてゐるといふ所謂超人主義の思想が、ラスコオリニコフの口から語られる時、何等浪漫的な色彩を帯びてゐない」と書き、「彼は己の思想に退屈してゐる」という解釈を示していました〔四三〕。
さらに「殺人はラスコオリニコフの悪夢の一とかけらに過ぎぬ」と書き、「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と続けた小林は〔四五〕、「罪と罰とは作者の取り扱つた問題といふよりも、この長編の結末に提出されている大きな疑問である、罪とは何か、罰とは何か、と、この小説で作者が心を傾けて実現してみせてくれてゐるものは、人間の孤独といふものだ」と記して、『罪と罰』を「孤独」の問題に矮小化していたのです〔六一〕。
このような小林秀雄解釈は、満州事変以降に厳しい思想弾圧が始まり、不安に陥っていた知識人の間でたいへん流行しました。しかし、そのような解釈は、ドゥーニャなどとの関係を重視せずに殺人を犯したラスコーリニコフの自意識や心理に焦点をあてて『罪と罰』を読み解くことでのみ成立しえたのです。
ただ、検閲が厳しかった戦前の『罪と罰』論には同情の余地がありますが、問題は小林が戦後も同じような『罪と罰』の解釈をしていただけでなく、「評論の神様」のように祭り上げられた彼の評論が教科書や大学の入試でも取り上げられたことにより、テキストや小説の構造を軽視し小説を「主観的に面白く」読み解いてもそれが流行すればよいと思い込むような学生だけでなく研究者がでてきたことです。
「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と書き、「殺人」を犯したラスコーリニコフの深い後悔の念を否定した小林の解釈は、「戦争の問題」に対して軍人や政治家に弁解の余地を与えただけでなく、3.11の原発事故のあとでも政治家や財界人にこの問題を深く反省しなくともよいかのような幻想を与えていることにもつながっているのではないかと思えるのです。
リンク→なぜ今、『罪と罰』か(序)――「安倍談話」と「立憲政治」の危機
リンク→なぜ今、『罪と罰』か(1)――「立憲主義」の危機と矮小化された『罪と罰』
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