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リメンバー、9.17 ――「忘れる文化」と記憶の力

リメンバー、9.17 ――「忘れる文化」と記憶の力

参院特別委員会で「自公両党」により行われたことを批判的に考察した9月19日のブログ記事では、「鴻池委員長を『人間かまくら』に囲い込み、外部から何も見えない、聞こえない情況にして、「聴取不能」(速記録)の無効採決が行われた。…中略…委員席にいた議員は、自分が起立したとき、何を採決したかを知っている者はいないはずだ」と記した有田芳生議員のツイートを紹介しました。

説明からはその構造がよく分かりましたが、テレビ映像を見ながら「民主主義」と「立憲主義」が今、葬られようとする場面を目撃しているという強い衝撃を受けていた私には、少し甘い表現だとも感じられました。それゆえ、映像を何度も繰り返して見ているうちに、それは単なる「人間かまくら」ではなく、与党議員による「立憲主義」の「円墳」のようだと感じるようになりました。

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「強制採決」が行われた前後に伝えられたのは、支持率は10%近く下がるかも知れないが、来年になれば忘れるので、来年の選挙は別なスローガンを掲げればよいという与党議員の言葉でした。

実際、「集団的自衛権」を閣議決定して強い批判を浴びた安倍政権は、昨年末の衆院選を「アベノミクス」を前面に掲げ、「集団的自衛権」についてはほとんど沈黙を守るという選挙戦術をとることで大勝していました。

このブログでは「臭い物には蓋(ふた)」、「人の噂も75日」、さらには過去のことは「水に流す」ということわざなどがある日本では、「見たくない事実は、眼をつぶれば見えなくなる」かのごとき感覚や、「過去の出来事にこだわるのは、見苦しい」という感覚が強く残っていることを指摘しました。

政治家たちの先の発言からも感じられるのは、「忘れる」ことを格好良いとする価値観です。

しかし、いくら眼をつぶっても、事実は厳然としてそこにあり、眼をふたたび開ければ、その重たい事実と直面することになります。また、放射能は「水に流す」ことはできないのです。

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「戦争法案」が強行採決された後でも、立憲主義と平和主義と民主主義を瀕死の状態に追い込んだ安倍政権に対する批判は衰えず、むしろ高まっています。

日本が再び悲劇を起こさないためにも、国会という場で暴力的な形で「強行採決」が行われた9.17という日を、深く記憶に刻み込むことが必要だと思います。

(2016年9月19日。最後の2行を削除して、ツイッターにも掲載)。

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