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なぜ今、『罪と罰』か(1)――「立憲主義」の危機と矮小化された『罪と罰』

なぜ今、『罪と罰』か(1)――「立憲主義」の危機と矮小化された『罪と罰』

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(『罪と罰』の表紙、ロシア版「ウィキペディア」より)

いよいよ明日からドストエフスキーの長編小説『罪と罰』を比較文学の手法で読み解く大学の講義が始まりますが、昨日、成立した「安全保障関連法」によって、私たちは戦後日本に70年間かけて定着してきた立憲主義、平和主義、民主主義が根本から覆される危険と直面しています。

日本ではドストエフスキーは後期の長編小説に焦点をあてることで、犯罪者の心理や男女間の異常な心理的葛藤を描くことに長けた作家であるというような見方が文芸評論家の小林秀雄以降、深く定着しているように見えます。

しかし、これはドストエフスキーを侮辱し、彼の作品を矮小化する解釈だと私は考えています。なぜならば、「憲法」がなく、「言論の自由」も厳しく制限されていたニコライ二世のいわゆる「暗黒の30年」に青春時代を過ごしたドストエフスキーは、「言論の自由」や「人間の尊厳」、開かれた裁判制度の大切さを文学作品を通して民衆に訴えかけようとしながら、1848年のフランス2月革命の余波を受けた緊迫した状況下で捕らえられ、偽りの死刑宣言の後でシベリアに流刑されるという厳しい体験をしていたのです。

長編小説『罪と罰』が雑誌に発表された年に生まれた哲学者のレフ・シェストフ(1866~1938)は、ドストエフスキーがシベリアに流刑されてから思想的に転向して、人道主義からも決別したという解釈を1903年に刊行した『悲劇の哲学』(原題は『ドストエフスキーとニーチェ』)で記し、この本が1934年に日本語に翻訳されると満州事変以降の厳しい思想弾圧が始まり、不安に陥っていた知識人の間でたいへん流行しました*1。

しかし、これから詳しく分析していくように、厳しい検閲を考慮して推理小説的な筋立てで「謎」を組み込むなど、随所にさまざまな工夫をこらしてはいますが、そこに流れる人道主義や正義や公平性の重要性の認識は強く保たれていると思われます。

たとえば、青年時代からプーシキンなどのロシア文学だけではなく、ゲーテやディケンズ、シェイクスピアに親しみ、流刑地で読んだ『聖書』やシベリアからの帰還後に親しんだエドガー・アラン・ポーの作品やユゴーの『レ・ミゼラブル』からの影響は『罪と罰』にも強く見られるのです(リンク→3-0-1,「ロシア文学研究」のページ構成と授業概要のシラバス参照)。

長編小説『罪と罰』は「憲法」のない帝政ロシアで書かれた作品ですが、最初にも記したように9月19日に成立した「安全保障関連法」によって、現在の日本は「憲法」が仮死状態になったような状態だと思われます*2。『罪と罰』にはその頃に起きた出来事や新聞記事も取り込まれていますので、現代の日本の状況と切り結ぶような形で授業を行えればと考えています。ただ、ドストエフスキーはこの小説で読者を引き込むようなさまざまな工夫もしていますので、比較文学的な手法でその面白さも指摘しながらこの長編小説を読んでいき、ときどき感じたことや考えたことなどをこのブログにも記すようにします。

*1 池田和彦「日本における『地下室の手記』――初期の紹介とシェストフ論争前後」R・ピース著『ドストエフスキイ「地下室の手記」を読む』のべる出版、2006年。

*2 〈安倍政権の「民意無視」の暴挙と「民主主義の新たな胎動」〉参照。

(2015年9月23日。「長編小説『罪と罰』を読み解く(1)――なぜ今、『罪と罰』か」より改題)。

 

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(2)――「ゴジラ」の咆哮と『罪と罰』の「呼び鈴」の音

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(3)――事実(テキスト)の軽視の危険性

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