黒澤監督とタルコフスキー監督のドストエフスキー観に迫った堀伸雄氏の二つの論文に強い知的刺激を受けて書いた論文「映画《惑星ソラリス》をめぐって――黒澤明とタルコフスキーのドストエフスキー観」が、黒澤明研究会の『会誌』第33号に掲載されました。たいへん遅くなりましたが、「映画・演劇評」のページに転載します。
この論文では映画《惑星ソラリス》とドストエフスキーの『罪と罰』との関係だけでなく、『おかしな男の夢』とのつながりにも言及しました。
注では記しませんでしたが、その考察に際しては「ドストエーフスキイの会」第215回例会で「ドストエーフスキイとラスプーチン ――中編小説『火事』のラストシーンの解釈」という題で発表された大木昭男氏の考察からも強い示唆を受けています。
ドストエフスキーが1864年に書いたメモで、人類の発展を「1,族長制の時代、2,過渡期的状態の文明の時代、3,最終段階のキリスト教の時代」の三段階に分類していたことを指摘した大木氏は、『火事』とドストエフスキーの『おかしな男の夢』の構造を比較することで、その共通のテーマが「己自らの如く他を愛せよ」という認識と「新しい生」への出発ということにあると語っていたのです。
この指摘は長編小説『白痴』の映画化にも強い関心をもっていたタルコフスキーのドストエフスキー観を理解するうえでも重要でしょう。
リンク→映画《惑星ソラリス》をめぐって――黒澤明とタルコフスキーのドストエフスキー観
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