日本の骨格を戦前へと覆してしまうような「戦争法案」の審議が厳しさを増す中で、強い危機感を覚えたと思える安倍晋三氏の周辺からは驚くような発言が次々となされています。
今日も〈麻生財務相の箝口令と「秘められた核武装論者」の人数〉という記事を書き終えた後で、〈百田氏:「言論弾圧でも何でもない」 沖縄の新聞発言で〉という見出しの記事が目に飛び込んできました。
毎日新聞デジタル版によれば、7日に東京都内で記者会見を行った百田氏は、自民党若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」で「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」などと自分が発言したことに関して、「一民間人がどこで何を言おうと言論弾圧でも何でもない」と述べたとのことです(太字は引用者)。
しかし、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』があり、さらには元NHK経営委員を務めた百田氏を「一民間人」とみなすことはできないでしょう。 実際、当初は百田氏を擁護していた安倍首相が3日の「衆院特別委員会」で「心からおわび」との発言をしたのに続き、菅官房長官も翁長知事との4日夜の会談で、沖縄をめぐる発言について「ご迷惑を掛けて申し訳ない」と陳謝していたのです。
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「全新聞が(自身の発言を)許さんと怒って、集団的自衛権の行使や、と思った」とも話した百田氏が、「あらためて沖縄の二つの新聞はクズやな、と思った」と発言したことも伝えられています。
ここで思い出して起きたいのは、『永遠の0(ゼロ)』で「一部上場企業の社長まで務めた」元海軍中尉の武田貴則に、「私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている」と決めつけさせた百田氏が、「反戦を主張したのは德富蘇峰の国民新聞くらいだった。その国民新聞もまた焼き討ちされた」とも語らせていたことです。
しかし、以前にも指摘したことですが、「戦時中の言論統一と予」と題した節で德富蘇峰は、「予の行動は、今詳しく語るわけには行かぬ」としながらも、戦時中には戦争を遂行していた桂内閣の後援をして「全国の新聞、雑誌に対し」、内閣の政策の正しさを宣伝することに努めていたと書いていました(『蘇峰自伝』中央公論社、1935年)。
つまり、德富蘇峰の『国民新聞』が「焼き討ち」されたのは彼が「反戦を主張した」からではなく、最初は戦争を煽りつつ、戦争の厳しい状況を知った後ではその状況を隠して「講和」を支持し、「内閣の政策の正しさを宣伝」したからであり、その「御用新聞」的な性格に対して民衆が怒りの矛先を向けたからだったのです(拙著『ゴジラの哀しみ』、110~111頁)。
「あらためて沖縄の二つの新聞はクズやな、と思った」と発言した百田氏の発言からも、『国民新聞』の徳富蘇峰やNHKの籾井会長と同じように「事実」ではなく、「権力者」が伝えたいと願っていることを報道するのが、新聞や報道機関の義務であると考えている可能性が高いと思われます。
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「東京新聞」の今日の夕刊によれば、「戦後七十年談話」を14日に閣議決定するために首相と7日夜に会談した公明党代表の山口那津男氏は、談話に先の大戦に関する謝罪の表現を盛り込むよう求めたとのことです。
その発言からは急速に高まっている公明党に対する批判を避けようとする意図が感じられますが、そのような目くらましのような要求ではなく、「核武装」を公言した武藤議員の辞職だけでなく、元NHKの経営委員でありながら安倍内閣の意向を反映して「言論弾圧」とも思えるような発言を繰り返している百田氏を選んだNHKの籾井会長の辞任をも求めることが与党の公明党には求められていると思えます。
(2019年1月6日、改題)
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