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武藤貴也議員の発言と『永遠の0(ゼロ)』の歴史認識・「道徳」観

武藤貴也議員の発言と『永遠の0(ゼロ)』の歴史認識・「道徳」観

自民党の武藤貴也衆院議員(36才)がツイッターで、「自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs=シールズ)」の行動を「極端な利己的な考え」と非難していたことが判明しました。

「毎日新聞」のデジタル版は村尾哲氏の署名入りで次のように報じています(太字は引用者)。

*   *

武藤氏は「彼ら彼女らの主張は『戦争に行きたくない』という自己中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまでまん延したのは戦後教育のせいだろうが、非常に残念だ」と書き込んだ。

民主党の枝野幸男幹事長は3日、記者団に「自分が戦争に行きたくない、みたいなレベルでしか受け止めておらず、法案の問題や本質を理解していない。戦後の平和主義、民主主義が積み重ねられてきた歴史に、全く目が向いていない」と追及する考えを示した。維新の党の柿沢未途幹事長も「権力を持っている政党の所属議員として、もってのほかの発言だ」と批判した。

*   *

安全保障関連法案について「法的安定性は関係ない」と発言した礒崎陽輔首相補佐官の場合と同じように問題は、「表現」レベルにとどまるものではなく、より深く「歴史認識」にも関わっているでしょう。

端的に私の感想を記せば、作家の百田尚樹氏を講師として招いた自民党若手の勉強会「文化芸術懇話会」にも出席していた武藤議員の発言からは、小説『永遠の0(ゼロ)』からの強い影響が見られることです。

なぜならば第7章「狂気」で百田氏は戦時中に小学校の同級生の女性と結婚した特攻兵の谷川に、戦場で命を賭けて戦っていた自分たちと日本国内で暮らしていた住民を比較して、「戦争が終わって村に帰ると、村の人々のわしを見る目が変わっていた」と語らせ、「昨日まで『鬼畜米英』と言っていた連中は一転して『アメリカ万歳』と言っていた。村の英雄だったわしは村の疫病神になっていたのだ」という激しい怒りの言葉を吐かせていました。

ここには現実認識の間違いや論理のすり替えがあり、「一億玉砕」が叫ばれた日本の国内でも学生や主婦に竹槍の訓練が行われ、彼らは大空襲に襲われながら生活していたのです。

また「鬼畜米英」というような「憎悪表現」を好んで用いていたのは、戦争を煽っていた人たちで一般の国民はそのような表現に違和感を覚えながら、処罰を恐れて黙って従っていたと思われます。映画《少年H》でも描かれていたように、戦後になると一転して「アメリカ万歳」と言い始めたのも庶民ではなく、「時流」を見るのに敏感な政治家たちだったのです。

しかし、百田氏は谷川に「戦後の民主主義と繁栄は、日本人から『道徳』を奪った――と思う。/ 今、街には、自分さえよければいいという人間たちが溢れている。六十年前はそうではなかった」と語らせているのです。

この記述と「利己的個人主義がここまでまん延したのは戦後教育のせいだろう」という武藤議員の発言に強い類似性を感じるのは私だけでしょうか。

安倍政権は「積極的平和主義」を掲げて、憲法の改定も声高に語り始めていますが、「満州国」に深く関わった祖父の岸信介首相を尊敬する安倍氏が語る「積極的平和主義」からは、「日中戦争」や「太平洋戦争」の際に唱えられた「五族協和」「王道楽土」などの「美しいスローガン」が連想されます。

いまだに『永遠の0(ゼロ)』を反戦小説と弁護している人もいるようですが、この小説や共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』に影響を受けた若者からは、「白蟻」のように勇敢に戦死することを求める一方で*1、戦争の批判者を「非国民」としていた戦前の教育や言論弾圧を当然視するかのような発言を公然と行う武藤氏のような議員が育っているのです*2

武藤議員は衆院平和安全法制特別委員会のメンバーでもあったとのことですが、礒崎陽輔首相補佐官が作成に深く関わり、武藤議員のような自民党の議員によって強行採決された「安全保障関連法案」は、廃案とすべきでしょう。

*   *

*1 『国民新聞』の社主・徳冨蘇峰は、第一次世界大戦中の大正5年に発行した『大正の青年と帝国の前途』において、白蟻の穴の前に危険な硫化銅塊を置いても「先頭から順次に」その中に飛び込み、「後隊の蟻は、先隊の死骸を乗り越え、静々と其の目的を遂げたり」として、自分の生命をもかえりみない白蟻の勇敢さを褒め称えていた。

さらに、敗色が濃厚になった1945年に著した「西南の役(二)――神風連の事変史」で、「大東亜聖戦の開始以来、わが国民は再び尊皇攘夷の真意義を玩味するを得た」とした蘇峰は、神風連の乱を「この意味から見れば、彼らは頑冥・固陋でなく、むしろ先見の明ありしといわねばならぬ」と高く評価した。

*2 武藤貴也「日本国憲法によって破壊された日本人的価値観」より

「最近考えることがある。日本社会の様々な問題の根本原因は何なのかということを」と切り出した後藤氏は、「憲法の『国民主権・基本的人権の尊重・平和主義』こそが、「日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている」とし、「滅私奉公」の重要性を次のように説いている。

〈「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。…中略…国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」と いう「日本精神」があったことは言うまでも無い。だからこそ第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった。〉   武藤貴也/オフィシャルブログ(2012年7月23日)

 

リンク→安全保障関連法案」の危険性と小説『永遠の0(ゼロ)』の構造

リンク→「安全保障関連法案」の危険性(4)――対談『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』

リンク→歪められた「司馬史観」――――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(11)

(2015年8月5日、注を追加し、題名を変更)

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