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「戦争法案」に反対する学生のアピールを転載――自分の声で語ること

「戦争法案」に反対する学生のアピールを転載――自分の声で語ること

最近、知人のS氏から下記の文面とともにアピール映像と音声が届きました。

「15日に大阪・梅田駅前で開かれた「戦争法制反対」するSEALDs関西の集会での女子学生のアピールを見つけました。

フェイスブックにアップされてまだ5日目ですが、再生はすでに10万回を超えて、ものすごい勢いで広まっているようです。 この間の多くの集会。デモで聴いた、どの政治家や学者・文化人の反対アピールより心を打ちます。一度ぜひ見てみてください。

*引用者注――リンク先が有効期限切れとなったようですので、リンク先を削除し「文字起こし」されている文章を転載しました

東京のSEALDsの学生たちのスピーチについても言えることですが、彼らは状況を的確に分析・把握して、しっかりものごとの本質を理解し、紋切型の言葉ではない自分の言葉で、聴衆に向かって物怖じすることなくアピールできるのですね。」
*   *   *

この映像を見て私が思い出したのは、かつてペレストロイカの時期にソ連で見たフォーキンの《語れ》という劇のことでした。これは党の在り方を批判した劇でしたが、終わり近くで上からの指導を批判して下からの意見がなければだめだと主人公に語らせ、相変わらず十年一日のごとくに決まりきった報告書を読みあげる女性からノートを取り上げて「(自分の声で)語れ」という台詞(せりふ)が最期に響いた時には、観客の熱い共感が湧き起こりました。

それゆえ、この劇を見終わった時にはソ連は変わるだろうという確信を持ったのですが、「自分の言葉」で語られた「戦争法案」に反対する彼女の短いスピーチからは、その劇と同じような迫力と説得力を感じました。

ソ連の「ペレストロイカ」の流れはチェルノブイリ原発事故の後で急速に加速し、ついには「一党独裁」という統治形態をも打ち倒したのですが、福島第一原子力発電所事故を経験していた若者たちは、安倍首相やその「お仲間」たちの言動から同じような問題を鋭く認識したのだと思われます。

衆議院での採決に際しては自民党と公明党の議員たちは「独裁者」に逆らえない「羊」のように黙々と賛成票を投じましたが、無名の学生の方が「本当の勇気」を示していたのです。

車がひっきりなしに通過する場所でのスピーチですので、ことに前半には聞き取りにくい箇所もありますが、すでに文字起こしがされていることが分かりましたので、以下にその文章を掲載します。

*   *   *

こんばんは。今日、私、本当に腹が立ってここに来ました。 国民の過半数が反対してるなかでこれを無理矢理通したという事実はまぎれもなく独裁です。

だけど私今この景色に本当に希望を感じています。大阪駅がこんな人で埋め尽くされてるのを見るの私初めてです。 この国が独裁を許すのか、民主主義を守りぬくのかは、今私たちの声にかかっています。

先日安倍首相はインターネット番組のなかでこういう例を挙げていました。 「ケンカが強くていつも自分を守ってくれている友達の麻生君がいきなり不良に殴り掛かられた時には一緒に反撃するのはあたりまえですよね」って。

ぞっとしました。 この例えをもちいるのであれば、この話の続きはこうなるでしょう。友達が殴りかかられたからと一緒に不良に反撃をすれば不良はもっと多くの仲間をつれて攻撃してくるでしょう。そして暴力の連鎖が生まれ不必要に周りを巻き込み関係のない人まで命を落とすことになります。

この例えをもちいるのであれば、正解はこうではないでしょうか。なぜ彼らが不良にならなければならなかったのか。そしてなぜ友達の麻生君に殴りかかるようなまねをしたのか。 その背景を知りたいと公表し暴力の連鎖を防ぐために不良がうまれる社会の構造を変えること、それがこの国が果たすべき役割です。

この法案を支持する人たち、あなたたちの言う通りテロの脅威が高まっているのは本当です。 テロリストたちは子どもが教育を受ける権利も、女性が気高く生きる自由も、そして命さえも奪い続けています。

しかし彼らは生まれつきテロリストだったわけではありません。なぜ彼らがテロリストになってしまったのか。その原因と責任は国際社会にもあります。 9・11で3000人の命が奪われたからといってアメリカはその後正義の名のもとに130万人もの人の命を奪いました。残酷なのはテロリストだけではありません。

わけの分からない例えで国民を騙し、本質をごまかそうとしても 私たちは騙されないし、自分の頭でちゃんと考えて行動します。 「日本も守ってもらってばっかりではいけないんだ」と「戦う勇気を持たなければならないんだ」と安倍さんは言っていました。

だけど私は海外で人を殺すことを肯定する勇気なんてありません。 かけがえのない自衛隊員の命を国防にすらならないことのために消費できるほど私は心臓が強くありません。 私は戦争で奪った命をもとに戻すことができない。 空爆で破壊された街を建て直す力もない。 日本の企業がつくった武器で子どもたちが傷ついてもその子たちの未来に私は責任を追えない。 大切な家族を奪われた悲しみを私はこれっぽっちも癒せない。

自分が責任のとれないことをあの首相のように「私が責任をもって」とか「絶対に」とか「必ずや」とか威勢のいい言葉でごまかすことなんて出来ません。

安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法はあなたの独裁を認めはしない。 国民主権も基本的人権の尊重も平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。

民主主義がここにこうやって生きている限り私たちはあなたを権力の座からきひずり下ろす権利があります。力があります。 あなたはこの夏でやめることになるし私たちは来年また戦後71年目を無事に迎えることになるでしょう。

安倍首相、今日あなたは偉大なことを成し遂げたという誇らしい気持ちでいっぱいかもしれません。けれどそんなつかの間の喜びはこの夜国民の声によって吹き飛ばされることになります。 きのうテレビのニュースで東京の日比谷音楽堂が戦争法案に反対する人でいっぱいになったのを見ました。

足腰が弱くなったおじいさんやおばあさんが暑い中わざわざ外に出て震える声でこぶしを突き上げて戦争反対を叫んでいる姿を見ました。この70年間日本が戦争をせずにすんだのはこういう大人たちがいたからです。ずっとこうやって闘ってきてくれた人たちがいたからです。 そして戦争の悲惨さを知っているあの人たちがずっとそうあり続けてきたのはまぎれもなく私の、私たちのためでした。

ここで終わらせるわけにはいかないんです。私たちは戦後を続けていくんです。武力では平和を保つ事ができなかったという歴史の反省の上にたち憲法9条という新しくてもっとも賢明な安全保障のあり方を続けていくんです。 私はこの国が武力を持たずに平和を保つ新しい国家としてのモデルを国際社会に示し続けることを信じます。

いつわりの政治は長くは続きません。 そろそろここで終わりにしましょう。 新しい時代を始めましょう。

2015年7月15日、私は戦争法案の閣議決定に反対します。

ありがとうございました。

*2015年9月15日。表題と内容を一部変更)

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