書評にも書きましたが、私がフーコーを強く意識するようになったのは、『講座比較文明』第1巻の『比較文明学の理論と方法』(伊東俊太郎・梅棹忠夫・江上波夫監修、神川正彦・川窪啓資編、朝倉書店、1999年)に掲載された中川氏の「ヨーロッパ近代への危機意識の深化(2)――ニーチェとフーコー」を読んだときでした。
その論文をきっかけにフーコーの著作を比較文明学の視点から読むようになった私は、『狂気の歴史』や『監獄の誕生』などの著作がドストエフスキーを強く意識して書かれていることに気づいたのです。
『ミシェル・フーコーの思想的軌跡――<文明>の批判理論を読み解く』が発行されてからだいぶ時間が経ってしまいましたが、学会誌『文明研究』に短い書評論文を書きましたので、「書評・図書紹介」に掲載します。
私はフーコーの専門家ではないので、中川氏の著作の意義をきちんと伝え得ているかには疑問も残りますが、日本が文明の岐路にさしかかっているとも思える現在、問題の根源を直視するためにも哲学や歴史の研究者のみならず、文学や比較文明学をめざす若手の研究者にもぜひ読んでもらいたいと願っています。
リンク→書評論文、中川久嗣著『ミシェル・フーコーの思想的軌跡――<文明>の批判理論を読み解く』(東海大学出版会、2013年)
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