はじめに――黒澤監督のドストエフスキー観と黒澤映画《夢》
ドストエフスキーは『罪と罰』のエピローグで「人類滅亡の悪夢」を描いていたが、今年の初めには世界が滅亡する時間を示す「終末時計」が冷戦時の1949年と同じ「残り3分」に戻ったと発表された。原水爆の問題を正面から取り上げた黒澤明監督(1910~98年)の映画《生きものの記録》(1955年)から原子力発電所事故を予告したような映画《夢》(1990年)への深まりを地球倫理の視点から考察する。
黒澤監督が映像をとおして描いたようにドストエフスキーの文明観や倫理観はきわめて深いので、『罪と罰』や『白痴』などにも簡単に言及しながら、作家を深く敬愛したソ連の映画監督タルコフスキーとの深い交友や映画《デルス・ウザーラ》をも視野に入れることにより、映画《夢》に至る黒澤監督の自然観や倫理観に迫る。
そのことにより、単に19世紀的な自然観の危険性と絶望的な状況を描くだけでなく、『罪と罰』の結末のように復活の可能性もきちんと示していた黒澤映画《夢》の素晴らしさも明らかにできるだろう。
Ⅰ、『罪と罰』の「人類滅亡の悪夢」と映画《夢》の「赤富士」と「鬼哭」
a、広島・長崎の悲劇と核兵器の開発競争
b、長編小説『罪と罰』との出会い――キューバ危機からベトナム戦争へ
c、黒澤映画《白痴》における「復員兵」の主人公と「殺すなかれ」という倫理
Ⅱ、映画《生きものの記録》とその時代
(作成:Toho Company, © 1955、図版は「ウィキペディア」より)
a、「第五福竜丸」事件と映画《生きものの記録》
b、「季節外れの問題作」
c、《Я живу в страхе(私は恐怖の中で生きている)》
d、湯川秀樹博士と文芸評論家・小林秀雄との対談をめぐって
Ⅲ、映画《デルス・ウザーラ》における環境倫理
a、シベリアの環境問題と映画《デルス・ウザーラ》の筋と構想
b、シベリアの環境問題と「自然支配の思想」の批判
c、ドストエフスキーの自然観とタルコフスキーの映画《惑星ソラリス》
Ⅳ、映画《夢》における黒澤明監督の倫理観と自然観
a、『罪と罰』における夢の考察と映画《夢》の構造
b、「やせ馬が殺される夢」と「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」の各話
c、「死んだ老婆が笑う夢」と第四話「トンネル」の戦死した部下たちの亡霊
d、「人類滅亡の悪夢」と第六話「赤富士」・第七話「鬼哭」
(画像はブログ「みんなが知るべき情報/今日の物語」より。http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/7da039753df523c21dcd451020f1e99c … )
おわりに――ラスコーリニコフの「復活」と第八話「水車のある村」
資料 年表「終末時計の時刻と黒澤映画」
リンク→年表8,核兵器・原発事故と終末時計
(2015年5月27日、図版とリンク先を追加。2016年4月29日、改訂 )
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