まだ福島第一原子力発電所事故も修復していないなか、汚染水は「アンダーコントロール」であると宣言した安倍政権は、日本の沖縄の民意を無視して辺野古基地の建設も強行しています。
その安倍政権は「積極的平和主義」を掲げて、憲法の改定も声高に語り始めていますが、「満州国」に深く関わった祖父の岸信介首相を尊敬する安倍氏が語る「積極的平和主義」は、「日中戦争」や「太平洋戦争」の際に唱えられた「五族協和」や「王道楽土」などの「美しいスローガン」が連想されます。
すでにこのブログでも何回か触れたように「満州国」などの実態は、それらの「美しいスローガン」とは正反対のものだったのです。ただ、現在はまだ拙著の執筆に追われており、この問題についてじっくりと考える時間的な余裕がないので、ここでは、「子供の日」に寄せて――司馬遼太郎と「二十一世紀に生きる君たちへ」という題名で昨年の5月5日に書いたブログの記事の一部を改訂した上で抜粋しておきます。
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幕末の志士・坂本龍馬などの活躍で勝ち取った「憲法」の意味が急速に薄れてきているように思われます。他民族への憎しみを煽りたて、「憲法」を否定して戦争をできる国にしようとしたナチス・ドイツの政策がどのような事態を招いたかはよく知られています。悲劇を繰り返さないためにも、今日は「子供の日」ですので、司馬氏の歴史観と 「二十一世紀に生きる君たちへ」の意味を確認したいと思います。
司馬遼太郎氏との対談で作家の海音寺潮五郎氏は、孔子が「戦場の勇気」を「小勇」と呼び、それに対して「平常の勇」を「大勇」という言葉で表現していることを紹介しています。そして海音寺氏は日本には命令に従って戦う戦場では己の命をも省みずに勇敢に戦う「小勇」の人は多いが、日常生活では自分の意志に基づいて行動できる「大勇の人」はまことに少ないと語っていました(太字は引用者、『対談集 日本歴史を点検する』、講談社文庫、1974年)。
司馬氏が長編小説『竜馬がゆく』で描いた坂本竜馬は、そのような「大勇」を持って行動した「日本人」として描かれているのです。
たとえば、「時流はいま、薩長の側に奔(はし)りはじめている。それに乗って大事をなすのも快かもしれないが、その流れをすて、風雲のなかに孤立して正義を唱えることのほうが、よほどの勇気が要る」と説明した司馬氏は、竜馬に「おれは薩長人の番頭ではない。同時に土佐藩の走狗でもない。おれは、この六十余州のなかでただ一人の日本人だと思っている。おれの立場はそれだけだ」と語らせていました。(太字は引用者、五・「船中八策」)。
司馬氏が竜馬に語らせたこの言葉には、生まれながらに「日本人である」のではなく、「藩」のような狭い「私」を越えた広い「公」の意識を持った者が、「日本人になる」のだという重く深い信念が表れていると思えます。
子供たちのために書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章を再び引用すれば、「自己を確立」するとともに、「他人の痛みを感じる」ような「やさしさ」を、「訓練して」「身につけ」た者を司馬氏は「日本人」と呼んでいるのです。
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子供や孫の世代を再び他国への戦場へと送り出す間違いと悲劇を繰り返さないためにも、時代小説などで戦争を描き続けていた司馬氏の「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章は重要でしょう。
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