5月23日(土曜)に行われる「地球システム・倫理学会」の研究例会では、「黒澤明監督の倫理観と自然観――《生きものの記録》から映画《夢》へ」という題名で講演を行います。
リンク→「地球システム・倫理学会」研究例会(5月23日)のお知らせ
講演の準備に取り組む中で黒澤明・小林秀雄関連年表にいくつかの重要な事項が抜けていたことに気づきました。「核兵器・原発事故と終末時計」の年表にリンクするとともに、黒澤明・小林秀雄関連年表に下記の事項を追加しました。
また、黒澤明とタルコフスキーという二人の名監督の深い交流とその意義をめぐる堀伸雄氏のすぐれた論文が二誌に掲載されましたので*、両者の交友と作品の事項も追加しました。
リンク→年表7、黒澤明・小林秀雄関連年表(1902~1998)
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1945年 【ロックフェラー財団会長レイモンド・フォスディックが原爆投下の知らせを聞いて「私は良心の呵責に苦しんでいる」と手紙に記す】。
1962年8月 『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』、筑摩書房。(アインシュタインと共同宣言を出したラッセル卿の「まえがき」を所収)。
1965年 小林、数学者の岡潔と対談「人間の建設」(『新潮』10月号)でアインシュタインを批判。
1973年 黒澤、モスクワで映画監督タルコフスキーとともに《惑星ソラリス》を見る。
1986年 【5月 タルコフスキーの映画《サクリファイス》上映】。
(* 堀伸雄「黒澤明とアンドレイ・タルコフスキー ~『七人の侍』に始まる魂の共鳴」『黒澤明研究会誌』第32号、および「ドストエフスキーへの執念が育んだ〈絆〉」『ドストエーフスキイ広場』第24号)。
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