長編小説『坂の上の雲』において、戦時中の新聞報道の問題を指摘していた司馬氏は、「この不幸は戦後にもつづく」と続け、「もし日本の新聞が、日露戦争の戦後、その総決算をする意味で、『ロシア帝国の敗因』といったぐあいの続きものを連載するとすれば」、ロシア帝国は「みずからの悪体制にみずからが負けた」という結論になったであろうと書いていました(六・「大諜報」)。
注目したいのは、その司馬氏が後に自分の後輩でもあるジャーナリストで筑波大学の教授となった青木彰氏に、新聞『日本』において「中道主義の言論活動を展開した」陸羯南についての「講座」を設けてはどうかという提案をしていたことです。
実は新聞『日本』は、日露戦争がまだ終結する前の明治三八(一九〇五)年四月五日から一二月二二日まで約九ヵ月にわたって、農奴の娘カチューシャを誘惑して捨てた貴族の主人公の苦悩をとおしてロシアの貴族社会の腐敗を厳しく暴いた内田魯庵訳によるトルストイの長編小説『復活』を連載していたのです。
しかも、ドストエフスキーの『罪と罰』も訳していた魯庵は、「元来神経質なる露国の検閲官」という注釈を付けながら「抹殺」、「削除」された箇所も具体的に指摘していました。
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昨年の3月に「日本トルストイ協会」で行われた講演会では、内田魯庵訳の『復活』への二葉亭四迷の関わりが詳しく考察され、12月にはトルストイの劇《復活》を上演した島村抱月主宰の劇団・藝術座百年を記念したイベントも開かれました。
さらに、夏には藤沼貴・日本トルストイ協会前会長による長編小説『復活』の新しい訳が岩波文庫から出版され、「解説」には『罪と罰』の結末との類似性の指摘がされていました。その記述からは「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」とした文芸評論家の小林秀雄の『罪と罰』解釈の問題点が改めて浮き彫りになりました。
『復活』とその訳に注目することによりドストエフスキーとトルストイの作品の内的な深い関係を考察したエッセーを書きましたので、「主な研究」のページに掲載します。
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