宮崎監督は夏目漱石の『草枕』が「大好きですね」と語っています。
元編集者で『漱石先生ぞな もし』(文春文庫)の作者でもある半藤一利氏がそれを受けて「それにあれは、絵画的世界でもありますね」と指摘すると、監督は「那美さんが川舟のなかで、スッと春の山をゆび指すでしょう。『あの山の向うを、あなたは越して入(い)らしった』と。とてもきれいなんです。絵にしたいんです。でも自分の画力では絵にできません」と続けているのです。
この二人の対談『腰抜け愛国談義』(文春ジブリ文庫、2013年)に注目しながら映画《風立ちぬ》を見るとき、この映画が堀辰雄の作品や優れた設計者の堀越二郎の伝記だけでなく、漱石の『草枕』の世界をも踏まえて創られているのだろう思えてきます。
ただ、『草枕』は少し古い作品なので、今回はこの内容も紹介しながら映画《風立ちぬ》との関係を考えてみたいと思います。
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日露戦争終結の翌年に発表された『草枕』は次のような有名な冒頭の言葉で始まります。
「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。」
こうして『草枕』では、画工である主人公が逗留した山中の温泉宿での景色や、そこで出会った「今まで見た女のうちで尤(もつと)もうつくしい所作をする」薄幸の女性・那美さんとの関わりをとおして独自の芸術論が語られているのです。
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その舞台となったのが熊本の小天(おあま)温泉でしたが、そこに「どうしても行きたくなって」しまった宮崎監督は、「社員旅行のときに『熊本に行こう!』と言い張って(笑)。二百何十人で出かけて行ったことがありました」と語っています。
宮崎「念願かなって行ったのですが、物語にでてくる峠道を歩くことはできませんでした。時間があまりなくてバスで行ってしまったものですから。」
半藤「それは残念でしたね。」
宮崎「物語の最後のところで、吉田の停留場(ステーション)まで川舟で川を下りますでしょう。あの川にはなんとしても行ってみたいと思ったのですが、ところが地図をいくら調べてもない。」
半藤「あれはつくり話なんです。漱石が自分でも描いた山水画の世界です。」
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『草枕』で注目したいのは、戦争が始まってからはほとんど湯治の客も来なくなった温泉の主人の娘・那美(なみ)が、最初からシェークスピアの悲劇『ハムレット』のヒロイン・オフェリヤと結びつけられて描かれていることです。
すなわち、茶店の老婆が「わたしゃ、お嫁入りのときの姿が、まだ眼前(めさき)に散らついている。裾(すそ)模様の振袖(ふりそで)に、高島田で、馬に乗って……」と源(げん)さんに話しかけているのを聞いた主人公は、写生帖をあけて「この景色は画になる」と考えるのです。ただ、「花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの面影(おもかげ)が忽然(こつぜん)と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった」と描かれています。
「ウィキペディア」より
さらに主人公に「昔しこの村に長良の乙女と云う、美くしい長者の娘」が、二人の男から懸想されて「淵川(ふちかわ)へ身を投げて果てました」と語った老婆は、那美も親の強い意向で「ここの城下で随一の物持ち」に嫁いだものの、「今度の戦争で、旦那様の勤めて御出の銀行がつぶれ」て戻ってきたと語ったのです。
こうして、人づてに那美についての話を聞いて、よい画の主題を得たと思い始めた主人公は、第7章では思いがけず風呂場に入ってきて朦朧とした湯けむりのなかに見える彼女の姿を、「あまりにも露骨(あからさま)な肉の美」を描く西欧の裸体画と比較しつつ、「神代の姿を雲のなかに呼びお起こしたるが如く自然である」と描いています。
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「映画『風立ちぬ』と日本の明日」と題された第二部では、半藤氏が「映画のなかで堀越二郎が菜穂子と暮らした黒川邸のような家は、昭和初期にはたくさんあったように思いますねえ」と語っています。
興味深いのは、その言葉を受けた宮崎監督が、女主人公の菜穂子が治療中のサナトリウムを抜け出して黒川夫妻の元で祝言を挙げ、命を燃やすように濃密な時間を二人で生きた黒川邸の離れについてこう語っていることです。
「『草枕』の舞台となった熊本の小天温泉に出かけて行った話を前回しましたが、漱石が泊まった前田家別邸の離れを見たときに『あ、これはいつか使える。覚えておこう』と思ったんです。黒川邸の離れはあそこがモデルなんです。」
自由民権運動に深くかかわった熊本の名士・前田案山子のこの別邸には中江兆民が訪れていたこともあり、漱石関連の書籍で写真を見ていたことが、私が映画《風立ちぬ》から強い印象を受けた一因かもしれません
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(本稿は昨日書いた同名のブログ記事の全面的な改訂版です。アップした文章を読み直したところ、漱石の『草枕』をまだ読んでいない人には難しいことが分かりましたので、2回に分けて掲載することにしました)。
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