昨年はさいたまの70代の方の〈梅雨空に「九条守れ」の女性デモ〉という俳句を、さいたま市の公民館が月報への掲載を拒否するという事件が起きました。
その後も原発の推進や辺野古の基地問題では、周辺住民や沖縄などの「国民」の声を無視する「安倍政権」による言論への締め付けは強まっているように見えます。政権によるNHKや報道機関への厳しい締め付けからは、明治初期の「藩閥独裁政権」による「新聞紙条例」や「讒謗律」さえも連想されます。
明治初期や昭和初期の日本ではこのような強権的な「権力」に対して、きちんと異議を唱えなかったために、次第に発言することが難しくなり戦争へと突入することになりました。
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注目したいのは、「東京新聞」が俳壇の長老・金子兜太氏と作家のいとうせいこう氏の2人が選考する「平和の俳句」を今年の1月から毎日掲載していることです。
今日も1面だけでなく13面の全頁に特集記事が載っていました。最近の句もネットでもみることができますので転載しておきます。
*私も知らぬ戦争を我が子にさせられぬ(2月11日)
*しわしわの手からもみじの手へ九条(2月10日)
*歌いましょう war is over レノン忌に(2月8日)
* 平和とは地球を走るランナーだ(2月7日)
* 九条で夏の球児の輝けり(2月6日)
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私にとって興味深いのは、陸羯南の主宰する新聞『日本』が「政府のたび重なる発行停止処分」にあったために、その「別働隊として」発刊された新聞『小日本』の編集主任を任された正岡子規が、その創刊号で「小説を寄稿する者は選択の上相当の報酬を以て之を申受くへし」、「和歌俳句を寄稿する者は選択の上之を誌上に掲くへし」として文学の振興をはかろうとしていたことです。
ことに俳句募集では毎回「題」と期限を設定し、「寄稿は一人に付五句を超ゆへからず」、「懸賞俳句は選抜の上首位より三人の者に一ヶ月間無料にて本紙を呈すへし」とした新企画も発表していました。ここからは自分が「平民的な文学」と考えていた俳句を広めようとした子規の強い意志が感じられます。
(図版は正岡子規編集・執筆『小日本』〈全2巻、大空社、1994年〉、大空社のHPより)
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「東京新聞」の「平和の俳句」が続くことを願っています。
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