(ネタバレあり)
単行本には次のような著者からのコメントが付けられていたとのことです。
この小説のテーマは「約束」です。
言葉も愛も、現代(いま)よりずっと重たかった時代の物語です。
しかし、読者からのコメントも添えておきましょう。
この小説のテーマは「詐欺」です。
言葉も命も、現代(いま)よりずっと軽かった時代の物語です。
小説『永遠の0(ゼロ)』がなぜ400万部を超えるほどに売れたか不思議でしたが、その理由は未だに「オレオレ詐欺」に騙されてしまう日本人が多いことと深く関連していると思われます。
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『永遠の0(ゼロ)』が読者に「感動」を与えた理由は、司法試験に4度も落ちて「自信もやる気も失せて」いた主人公の健太郎が、関係者への取材をとおして祖父の生き方を知って自信を取り戻すという構造を持っているからでしょう。
すなわち、フリーのライターをしている姉の慶子から「ニート」と呼ばれていた「ぼく」は、姉の慶子から「本当のおじいさんがどんな人だったのか、とても興味があるわ。だってこれは自分のルーツなのよ」と説得されてこの企画に参加することになります。
この小説は、最初の取材では「海軍一の臆病者」、「何よりも命を惜しむ男だった」と非難された主人公の祖父が、取材をとおして「家族への深い愛」と奇跡的な操縦術を持つ勇敢なパイロットであったことが次第に明らかになるという構造をしています。
注目したいのは、「真珠湾」と題された第3章で健太郎が、「ぼくにガッツがないのも、久蔵じいさんの血が入っているせいかもしれないね」とこぼすと祖母の再婚相手だった祖父の大石が、「馬鹿なことをっ!」と怒鳴りつけるように言い、さらに「清子は小さい頃から頑張り屋だった。どんな時にも弱音を吐いたことがない」と説明したと記されていることです。
この文章からは、大石が血はつながっていない孫を温かく励ます祖父のように読めます。
しかし、「父が亡くなったのは26歳の時よ。今の健太郎と同じなのよ」(63)と語って自分の父・久蔵と息子との比較を行った健太郎の母・清子は、「父がどんな青年だったのかは、お母さんに教えてもらいたかったわ」と続けているのです。
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映画《永遠の0(ゼロ)》の宣伝文では「60年間封印されていた、大いなる謎――時代を超えて解き明かされる、究極の愛の物語」と大きく謳われています。
実際、「流星」と題された第12章ではかつて大石が祖母の松乃に対して求婚した際には、「宮部さんは私にあなたと清子ちゃんのことを託したのです。それゆえ、わたしは生かされたのです。もし、それがかなわないなら、私の人生の意味はありません」とまで語っていたことが描かれています。
それほどまでに宮部のことを尊敬していたのならば、なぜ大石は「父がどんな青年だったのかは、お母さんに教えてもらいたかったわ」と願っていた松乃の娘・清子に、「命の大切」さを訴えていた宮部の理念を伝えようとせず、60年間も「沈黙を守り続けていた」のでしょうか。
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おそらく、その最も大きな理由の一つは、この小説に「自分のルーツ」探し的な構造を持たせるためだと思われます。
たとえば、第5章の「ガダルカナル」で、「なぜ、今日まで生きてきたのか、いまわかりました。この話をあなたたちに語るために生かされてきたのです」と語った井崎源次郎は、「いつの日か、私が宮部さんに代わって、あなたたちにその話をするためだったのです」と続けています。
第6章ではラバウルで機体の整備にあたっていた永井が、久蔵がプロにもなれるような囲碁の名手であったとの逸話を語ります。
第8章の「桜花」では、「祖父の話を聞くのは辛い」と語った姉に対して、先の井崎の言葉を受けるかのように「ぼく」は、「でもね、ぼくは今度のことは何かの引き合わせのように感じてるんだ。六十年もの間、誰にもしられることのなかった宮部久蔵という人間が、今こうしてぼくの前に姿を見せ始めているんだ」と語り、さらに「奇跡」と言う単語を用いながら、「これって、もしかしたら奇跡のようなことじゃないかと思っている」と続けているのです。
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作家・司馬遼太郎氏の言葉を用いて官僚制度の問題点が鋭く指摘されていた第7章「狂気」では、姉弟の次のような会話が描かれていました。
「もしかしたら官僚的組織になっていたからだと思う」
「そうか――責任を取らされないのは、エリート同士が相互にかばい合っているせいなのね」
(中略)
「でも、日本の軍隊の偉い人たちは、本当に兵士の命を道具みたいに思っていたのね」
「その最たるものが、特攻だよ」
ぼくは祖父の無念を思って目を閉じた。
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「兵士の命を道具みたいに思っていた」、「その最たるものが、特攻だよ」と健太郎は結論していましたが、その問題を「特攻」だけに集約することはできないでしょう。
「命の大切」さを訴えていた祖父のことを詳しく大石から聞かされていれば、「白蟻」のような勇敢さで死ぬように教育されていた戦前の人々の苦しさや、「五族協和」が謳われた満州における「棄民政策」や原爆の問題点も、この姉弟はよく認識しえていたはずなのです。
進化した「オレオレ詐欺」では、様々な役を演じるグループの者が、重要な情報については「沈黙」しつつ、限られた情報を一方的に伝えることによって次第に被害者を信じ込ませていきます。
この小説でも宮部の内面が描かれることはなく「60年間封印されて」、第三者からの聞き取りを通して「生命を大切」にした「英雄・宮部」の「美しい死」が描かれているのです。
こうして、大石の沈黙こそが巧妙に構成された順番に従って登場する「特攻隊員」たちの語る言葉によって、「命の大切」さを訴えていた宮部の理念ではなく、一部上場企業の元社長・武田が賛美した徳富蘇峰と同じ思想を持つと思われる大石=百田氏の思想を植え付けることにつながっているのだと思われます。
妻や娘と再会するために「命を大切」にしていた宮部久蔵の最愛の松乃を自分のものとした善良なようにみえる大石賢一郎は、久蔵の大切な孫達の思想をも支配することになったのです。
大石の高笑いが聞こえるような終わり方ですが、その笑い声には「『平和ぼけ』して戦争の悲惨さを忘れてしまった日本人をだますことは簡単だ」とうそぶく作者の百田氏の声も重なって聞こえてくるようです。
「オレオレ詐欺」やこのような「美しい物語」を、簡単に信じ込んでしまうようになる遠因は、「テキスト」の内容に感情移入して「主観的に読む」ことが勧められるようになっている最近の「国語教育」にもあると思われます。文学作品の解釈においても「テキスト」の内容を前後関係や書かれた状況をも踏まえてきちんと分析し、読み解く能力が必要でしょう。
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「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』」と題した今回のテーマは、思いがけず長いシリーズとなりました。
これまでは批判的な視点からこの作品を読み解いてきましたが、「生命を大切」さを訴えた主人公・宮部久蔵の理念には、権力に幻惑される前の百田氏の思いが核になっていたとも思われます。
次回はこのような宮部久蔵の理念を現代に生かすべき方法を考えることで、このシリーズを終えることにしたいと思います。
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