高橋誠一郎 公式ホームページ

沈黙する女性・慶子――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(3)

沈黙する女性・慶子――「オレオレ詐欺」の手法と『永遠の0(ゼロ)』(3)

 

語り手である「ぼく」の姉・慶子が、「オレオレ詐欺」のヒール(悪役)を演じる新聞記者・高山の助手ではないかという仮説は奇抜すぎるように見えるかもしれません。

このようなイメージを持ったのは、「臆病者」と題された第2章で、取材のために訪れた元海軍少尉・長谷川梅男から「祖父」の宮部久蔵を激しく批判された際に姉の慶子が、きちんとした反論をほとんどできずに、打ちのめされて帰ってくる箇所に強い違和感を抱いたためです。

*   *

胡散臭さは取材に行く前の姉弟の会話からも臭っていました。「ところで、戦争のことについて、ちょっとは勉強したの?」という「ぼく」の質問にたいして、慶子は「そんな暇ないわよ」と答えているのです。

その程度の知識しかなくてプロジェクトに参加しようとしている慶子の責任感のなさにはあきれますが、慶子をスタッフとして採用した高山の責任はより重いでしょう。

慶子の無責任さは取材の場ですぐに明らかになります。

戦闘機搭乗員としてラバウル航空隊で一緒だった長谷川は、開口一番に久蔵のことを「奴は海軍航空隊一の臆病者だった」と決めつけ、さらに「奴はいつも逃げ回っていた。勝つことよりも己の命が助かることが奴の一番の望みだった」と語ります。

それに対して、「命が大切というのは、自然な感情だと思いますが?」と慶子が言うと長谷川は「それは女の感情だ」といい、「それはね、お嬢さん。平和な時代の考え方だよ」と続け、「みんながそういう考え方であれば、戦争なんか起きないと思います」という慶子の反論に対しては、小学生に諭すように次のように断言しているのです。

「人類の歴史は戦争の歴史だ。もちろん戦争は悪だ。最大の悪だろう…中略…だが誰も戦争をなくせない。今ここで戦争が必要悪であるかどうかをあんたと議論しても無意味だ。…中略…あの戦争が侵略戦争だったか、自衛のための戦争だったかは、わしたち兵士にとっては関係ない。」

*   *

長谷川から「こんなわしの話が聞きたいか」と聞かれて黙ってしまった姉に変わって「ぼく」が「お願いします」といって、取材が始められます。

問題は、この取材の後で百田氏が慶子に「本当言うと、おじいさんには少しがっかりしたわ…中略…私は反戦思想の持ち主だから、おじいさんには勇敢な兵士であってほしくないけど、それとは別にがっかりしたわ」と語らせていることです(太字は引用者)。

百田氏は「ぼく」に、「正直に言うと、姉はジャーナリストには向いていないと思っていた。気は強いが、気を遣い過ぎる性格だから」とあらかじめ断らせていました。しかし、フリーライターとはいえ30歳という年齢を考えれば、戦争や当時の状況についてのかなりの知識をもっていて当然のはずなのですが、弟に「戦争のことについて、勉強する暇はなかった」と告げていた慶子は、戦争も知らずにどのようにして「反戦思想の持ち主」になったのでしょうか。

この小説の最大の山場の一つである第9章「カミカゼアタック」では、プロジェクトの企画者である新聞記者の高山が、「一部上場企業の社長まで務めた」元海軍中尉の武田貴則からその平和思想を批判され、「帰ってくれたまえ」と言われてすごすごと退散する場面が描かれています。

普通ならば、このような状況に不自然さを感じると思いますが、多くの読者がそこにあまり違和感を覚えないのは、自分の「反戦思想」を「それは女の感情だ」と決めつけられても、姉の慶子がきちんとした反論をほとんどできなかったと描かれている第2章「臆病者」が、第9章の展開の伏線となっているからだと思われます。

この作品に私が「オレ、オレ詐欺」の手法を感じるのは、百田氏がこの後で「ぼくの心にも祖父が臆病者だったという台詞(せりふ)はずっしりと残っていた…中略…なぜならば、ぼく自身がいつも逃げていたからだ。ぼくには祖父の血が流れていたのだ」と続けているからです。

こうして、「祖父」の疑惑に関心を持った孫の「ぼく」の苦悩に共感した読者は、最後まで「物語」から抜け出すことができなくなるという構造をこの小説は持っているのです。

*   *

『永遠の0(ゼロ)』については、まだいろいろと考えるべきことがありますが、明後日の日曜が投票日なので今回はここまででいったん中断することにし、最後に稿をかえて選挙の争点にも関わる「命が大切というのは、自然な感情だと思います」という慶子の言葉の意味を考察することにします。

 

« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です