《風立ちぬ》と同じ年の12月に公開予定の映画《永遠の0(ゼロ)》を雑誌『CUT』(ロッキング・オン/9月号)の誌上で「今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記を基にして、零戦の物語をつくろうとしてるんです。神話の捏造をまだ続けようとしている」と厳しく批判した宮崎監督は、さらに次のように続けていました。
「戦後アメリカの議会で、零戦が話題に出たっていうことが漏れきこえてきて、コンプレックスの塊だった連中の一部が、『零戦はすごかったんだ』って話をしはじめたんです。そして、いろんな人間が戦記ものを書くようになるんですけど、これはほとんどが嘘の塊です」。
* *
この批判に対して百田氏は、「宮崎さんは私の原作も読んでませんし、映画も見てませんからね」と反論したとのことですが、宮崎監督は原作にきちんと目を通していたと思われます。
なぜならば、『永遠の0(ゼロ)』の冒頭は「あれはたしか終戦直前だった。正確な日付は覚えていない。しかしあのゼロだけは忘れない。悪魔のようなゼロだった」という強いインパクトを持つ文章で始まるからです。
続いてアメリカ人パイロットの零戦やそのパイロットについてのきわめて否定的な感想が描かれています。
「スウサイドボンバーなんて狂気の沙汰だ。そんなものは例外中の例外だと思いたい。しかし日本人は次から次へとカミカゼ攻撃で突っ込んでくる。俺たちの戦っている相手は人間でなはないと思った。」
「やがて恐怖も薄らいだ。次にやってきた感情は怒りだった。神をも恐れぬ行為に対する怒りだった。…中略…最初の恐怖が過ぎると、ゲームになった。」
しかし、そのような否定的な評価は一人のゼロファイターの「奇跡的な操縦術」を見た後で一転することを暗示する次のような文章でプロローグは終わります。
「八月になると、戦争はまもなく終わるだろうと多くの兵士が噂していた。
あの悪魔のようなゼロを見たのはそんな時だった。」
* *
「第3章 真珠湾」では豪州のパイロットに次のような印象を語らせています。
「ゼロファイターは本当に恐ろしかった。信じられないほど素早く、」「俺たちは戦うたびに劣等感を抱くようになったんだ。ゼロとは空戦をしてはならないという命令がくだったんだよ」。
「俺たちは日本の新型戦闘機が『ゼロ』というコードネームが付けられていることを知った。何と気味悪いネーミングだと思ったよ。『ゼロ』なんて何もないという意味じゃないか。しかもその戦闘機は信じられないムーブで俺たちをマジックにかける。これが東洋の神秘かと思ったよ」。
* *
こうして、プロローグにおける「スウサイドボンバーなんて狂気の沙汰だ」という「カミカゼ」攻撃に対する評価は、エピローグでは「奇跡的な」操縦で「迎撃戦闘機と対空砲火をくぐり抜け」て、突撃した宮部に対するアメリカの艦長の賞賛へと変化することになります。
百田氏も「零戦の弱点は防御が弱いところです」と登場人物に語らせていますが、宮崎監督は映画《風立ちぬ》で戦闘機「零戦」の設計者・堀越二郎と本庄季郎という2人の設計士の対話をとおして、圧倒的な西欧列強との経済力などの差から「攻撃こそは最大の防御である」とされて、設計段階から乗組員の生命があまり重視されなかったことの問題を浮き上がらせていました。
それは日本思想の問題の核心にも迫っていたといえるでしょう。
『永遠の0(ゼロ)』を「神話の捏造」とした宮崎監督の批判はきわめて重いと思われます。
* *
映画《風立ちぬ》関係の記事
コメントを残す