最近、司馬氏が孫の世代の子供たちのために書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」というエッセーを読み返したところ、その文章が「子供たち」だけではなく、現在の状況も予期したかのように、これから戦場へと駆り出される可能性のある若い世代や中年、さらには私たち老年の世代にも向けられた遺言のように思えてきました。
なぜならば、そこで「自己を確立」することの必要性を記した司馬氏は、「自己といっても、自己中心におちいってはならない」と記し、「自国」だけでなく「他国」の歴史や文化をも理解できることの重要性を強調してこう記していたのです。
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助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても本能ではない。だから、私たちは訓練してそれを身につけねばならないのである。
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(「二十一世紀に生きる君たちへ」『十六の話』中公文庫、初出は『小学国語』六年下、大阪書籍株式会社、1989年5月)。
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