ヘイトスピーチとも思われるような過激な発言を繰り返している作家の百田尚樹氏がなぜ、NHKの経営委員として留まっていられるのかを不思議に思っていました。
しかし、『永遠の0(ゼロ)』の山場が日露戦争時の新聞報道をめぐる議論であったことを知って、その理由が分かったと思いました。
リンク→宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠の0(ゼロ)』(2)
学徒動員で満州の戦車部隊に配属され22歳で敗戦を迎えて、どうして「こんなバカなことをする国」になってしまったんだろうと真剣に悩み、『坂の上の雲』で戦争の問題を深く考察した作家の司馬遼太郎氏は、この作品を「なるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品」であると語り、その理由を「うかつに翻訳すると、ミリタリズムを鼓吹しているように誤解されたりする恐れがありますからね」と説明していました(司馬遼太郎『「昭和」という国家』、NHK出版、一九九八年、三四頁)。
リンク→改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」
一方、自作の『永遠の0(ゼロ)』について、百田氏は昨年8月16日のツィッターで「でもたしかに考えてみれば、特攻隊員を賛美したかもしれない、彼らの物語を美談にしたかもしれない。しかし賛美して悪いか!美談にして悪いか!日本のために命を捨てて戦った人たちを賛美できない人にはなりたくない。これは戦争を肯定することでは決してない。」とつぶやき、自分の小説が映像化されて視覚的な映像に多くの若者が影響されることをむしろ願っています。
しかし、彼の「つぶやき」は論理のすり替えであり、「戦争」という特殊な状況下で、自分の生命をも犠牲にして特攻に踏み切った「カミカゼ特攻隊員」の勇気を否定する人は少ないでしょう。ただ、司馬氏が戦車兵として選ばれたときには死を覚悟したと書いていましたが、多くの日本兵は「特攻兵」と同じような状況に立たされていたのです。
百田氏は「特攻隊員たちを賛美することは戦争を肯定することだと、ドヤ顔で述べる人がいるのに呆れる。逃れられぬ死を前にして、家族と祖国そして見送る者たちを思いながら、笑顔で死んでいった男たちを賛美することが悪なのか。戦争否定のためには、彼らをバカとののしれと言うのか。そんなことできるか!」とつぶやいていますが、ここでも論点が強引にすり替えられており、「罵り言葉」を用いているのは本人なのです。
問われるべきは、敗戦がほぼ必至であったにもかかわらず、戦争を続けさせた政治家や戦争を煽った文学者の責任なのです。そのことに気づきつつも論点を巧妙にすり替えていることで、政治家や文学者の責任を読者から「隠蔽」している百田氏の言動は「詐欺師」的だといわねばならないでしょう。
そのような作家がNHKの経営委員として留まっている中で行われる今回の総選挙は、異常であると私は感じています。
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追記:ツィッターのような短い文章は「情念」を伝えるには適していますが、「論理」を伝えるには短すぎるのでこれまでは避けてきました。しかし、選挙も近づいてきまし、あまり時間もありませんので、これからは短い文章も載せることにします。
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