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宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠の0(ゼロ)』(2)

宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠の0(ゼロ)』(2)

前回の記事では『ビジネスジャーナル』の記事によりながら、「今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記を基にして、零戦の物語をつくろうとしてるんです。神話の捏造をまだ続けようとしている」と宮崎監督が厳しく批判したことや、百田氏が「全方位からの集中砲火」を浴びているようだと語ったことを紹介し、それはこの小説の「いかさま性と危険性」に多くの読者が気づき始めたからだろうという判断を記しました。

全部で12の章とプロローグとエピローグから成るこの小説については、小説の構成の意味など考えるべきことがいろいろありますが、今回はクライマックスの一つでも「歴史認識」をめぐる激しい口論のシーンを考察することで、『永遠の0(ゼロ)』の問題点を明らかにしたいと思います。

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小説の発端は語り手の「ぼく」が、「戦争体験者の証言を集めた本」を出版する新聞社のプロジェクトのスタッフに採用された「姉」を手伝うことになるところから始まります。

こうして、特攻隊員として死んだ実の祖父のことを知る「当時の戦友たち」をたずねて話を聞く中で、新聞記者・高山の影響もあり特攻隊員のことを「狂信的な愛国者」と思っていた「姉」の考えが次第に変わっていく様子が描かれているのです。

その最大の山場が新聞記者の高山隆司と「一部上場企業の社長まで務めた」元海軍中尉の武田貴則との対決が描かれている第9章です。

そこで、かつて政治部記者だった高山にわざと「特攻隊員は一種のテロリストだった」という単純で偏った「カミカゼ」観を語らせた百田氏は、その言葉に激昂した武田が「馬鹿者! あの遺書が特攻隊員の本心だと思うのか」、「報国だとか忠孝だとかいう言葉にだまされるな」と怒鳴りつけさせ、「私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている」と決めつけた武田の次のような言葉を描いています。

「日露戦争が終わって、ポーツマス講和会議が開かれたが、講和条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明した。こんな条件が呑めるかと、紙面を使って論陣を張った。国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起こった…中略…反戦を主張したのは德富蘇峰の国民新聞くらいだった。その国民新聞もまた焼き討ちされた。」

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作家の司馬氏も「勇気あるジャーナリズム」が、「日露戦争の実態を語っていれば」、「自分についての認識、相手についての認識」ができたのだが、それがなされなかったために、日本各地で日本政府の弱腰を責めたてる「国民大会が次々に開かれ」、放火にまで走ることになったと記して、ナショナリズムを煽り立てる報道の問題を指摘していました(『「昭和」という国家』NHK出版、1998年)。

しかし、『蘇峰自伝』の「戦時中の言論統一と予」と題した節で德富蘇峰は、「予の行動は、今詳しく語るわけには行かぬ」としながらも、戦時中には戦争を遂行していた桂内閣の後援をして「全国の新聞、雑誌に対し」、内閣の政策の正しさを宣伝することに努めていたと書いていました。

自分の弟で作家の蘆花から「そうなら国民に事情を知らせて諒解させれば、あんな騒ぎはなしにすんだでしょうに」と問い質されると、蘇峰は「お前、そこが策戦(ママ)だよ。あのくらい騒がせておいて、平気な顔で談判するのも立派な方法じゃないか」と答えていたのです(徳富蘇峰『蘇峰自伝』中央公論社、1935年。および、ビン・シン『評伝 徳富蘇峰――近代日本の光と影』、杉原志啓訳、岩波書店、1994年参照)。

つまり、思想家・德富蘇峰の『国民新聞』が「焼き討ち」されたのは、彼が「反戦を主張した」からではなく、戦争の厳しい状況を知りつつもそれを隠していたからなのです。

司馬氏が『この国のかたち』の第一巻において、戦争の実態を「当時の新聞がもし知っていて煽ったとすれば、以後の歴史に対する大きな犯罪だったといっていい」と記していたことに留意するならば、司馬氏の鋭い批判は、蘇峰と彼の『国民新聞』に向けられていたとも想像されるのです。

さらに「カミカゼ」の問題とも深く関わると思われるのは、第一次世界大戦の最中の1916(大正5)年に書いた『大正の青年と帝国の前途』で德富蘇峰が、明治と大正の青年を比較しながら、「此の新時代の主人公たる青年の、日本帝国に対する責任は奈何」と問いかけ、「世界的大戦争」にも対処できるような「新しい歴史観」の必要性を強調していたことです(筑摩書房、1978年)。

リンク→  司馬遼太郎の教育観  ――『ひとびとの跫音』における大正時代の考察

司馬氏は日露戦争以降の日本で強まった「自殺戦術とその固定化という信じがたいほどの神秘哲学」を長編小説『坂の上の雲』で厳しく批判していましたが、「忠君愛国」の思想の重要性を唱えるようになった蘇峰は、『大正の青年と帝国の前途』において白蟻の穴の前に危険な硫化銅塊を置いても、白蟻が「先頭から順次に其中に飛び込み」、その死骸でそれを埋め尽し、こうして「後隊の蟻は、先隊の死骸を乗り越え、静々と其の目的を遂げたり」として、集団のためには自分の生命をもかえりみない白蟻の勇敢さを大正の青年も持つべきだと記していたのです。

リンク→ 『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)

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作家の司馬遼太郎氏が亡くなられた後で起きた1996年の「司馬史観」論争の翌年には、安倍晋三氏を事務局長とする「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が立ち上げられ、戦後の歴史教育を見直す動きが始まっていました。

これらのことを考慮するならば、安倍首相との対談で「百人が読んだら百人とも、高山のモデルは朝日新聞の記者だとわかります」と語って、朝日新聞の名前を挙げて非難したとき(『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』、66頁)、百田氏は厳しい言論統制下で記事を書いていた新聞記者よりも重大な責任を負うべき戦前の思想家や政治家など指導者たちの責任を「隠蔽」しているように見えます。

『永遠の0(ゼロ)』では語り手の姉が「来年の終戦六十周年の新聞社のプロジェクトのスタッフに入れたのよ」と語っていましたが、私自身は日露戦争勝利百周年となる2005年からは日本が軍国主義へと後戻りする流れが強くなるのではないかという怖れと、NHKの大河ドラマでは長編小説『坂の上の雲』の内容が改竄されて放映される危険性を感じて司馬作品の考察を集中的に行っていました。

しかし、太平洋戦争における「特攻隊員」を語り手の祖父としたこの小説に日露戦争のテーマが巧みに隠されていることには気付かず、いままで見過ごしてしまいました。

百田氏は先に挙げた共著の対談で、「安倍総理も先ほどおしゃっていたように、この本を読んだことによって、若い人が日本の歴史にもう一度興味を持って触れてくれることが一番嬉しいですね」と語っていました(67頁)。

司馬氏を敬愛していた宮崎監督が「神話の捏造」と百田氏の『永遠の0(ゼロ)』(単行本、太田出版、2006年。文庫本、講談社、2009年)を厳しく批判したのは、大正の青年たちに「白蟻」の勇敢さをまねるように教えた德富蘇峰の歴史認識を重要視する安倍首相が強引に進める「教育改革」の危険性を深く認識したためだと思えます。

今回は急で「大義のない」総選挙となりましたが、「親」や「祖父・祖母」の世代である私たちは、安倍政権の「教育政策」が「子供たち」や「孫たち」の世代にどのような影響を及ぼすかを真剣に考えるべき時期に来ていると思われます。

リンク→《風立ちぬ》と映画《少年H》――「《少年H》と司馬遼太郎の憲法観」

(続く)

 映画《風立ちぬ》関連の記事へのリンクは、「宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠のO(ゼロ)』」のシリーズが完結した後で、一括して掲示します。

 

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