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ドストエーフスキイの会「第223回例会のご案内」を転載、「主な研究」に「傍聴記」を掲載

ドストエーフスキイの会「第223回例会のご案内」を転載、「主な研究」に「傍聴記」を掲載

リンク「広場」23号合評会・「傍聴記」

 

ドストエーフスキイの会「第223回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.124)より転載します。

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第223回例会のご案内 

       下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

日 時2014927日(土)午後2時~5

場 所:千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)

℡:03-3402-7854

報告者:北岡淳也 氏

題 目: 晩年のドストエフスキーと「人民の意志」連続テロ事件

                      

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:北岡淳也(きたおか じゅんや)

1945年生まれ、早大文学部卒。

著書に「ドストエフスキー・クライシス ─   ユートピアと千年王国」。

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1878年1月、ザスーリッチによるトレーポフ特別市長官暗殺未遂事件に始まる連続テロは8月、クラフチンスキーによる憲兵司令長官、メゼンツェフ暗殺、翌、79年には3月、ミルスキーによるドレンチェリン長官襲撃事件、4月、ソロヴィヨフによるアレクサンドルⅡ世暗殺未遂事件、11月、列車爆破事件、80年にはハルトゥーリンによる冬宮爆破事件とつづいて、81年3月1日に、アレクサンドルⅡ世がエカテリーナ運河ぞいでグリュネヴィツキーの自爆テロによって横死した。急進派ナロードニキによる花々しいテロの時代に、「悪霊」の作者、ドストエフスキーは81年1月28日にひっそりと自宅で死亡した。

ドストエフスキーの友人で宗務院長官のポベドノスツェフは彼の作品について検閲官の役割をはたしている。政治的には保守陣営の大立者で、黒百人組にも深く関係している。

ところで、ミルスキーによるドレンチェリン第三課長官暗殺未遂事件に加担したピョートル・ラチコフスキーという人物、─ 彼は20世紀初頭、第三課長官になり、操り師、ラチコフスキーの偉名をとる ─ ペテルブルグ市の一般事務職員がテロの時代のさなか、79年4月に第三課職員として地下工作活動の世界に入っていく。

彼はドストエフスキーの作品を愛読していた。その時代、ドストエフスキーは「カラマゾフの兄弟」を雑誌に連載していた。作家は市民ホールなどでも章ごとに朗読している。ラチコフスキーも朗読会に聴衆のひとりとして聴きにいった。作家本人が読むと、俳優の朗読とは違った味わいがある。

現代イギリスの政治学者、テイラーによると、アレクサンドルⅡ世暗殺事件は近代政治テロの原点であるという。

この事件の真相にフィクションを用いて迫れないだろうか、それは30年近く前に、ドストエフスキーの死に疑問をもったこと、調べているうちにその当時、宮廷女官が言ったという「ロシアはこの2、3カ月のうちに大きく変る」という言葉が噂となって流布していたという。

アレクサンドルⅡ世とドストエフスキーの死で、ロシア・ルネッサンスといわれる時代は幕をおろした。では誰が幕引きを仕組んだのか。

Ⅱ世が死亡した瞬間、皇太子がアレクサンドルⅢ世に即位した。政治権力にキレ目があってはならない。皇太子の教育者、ポベドノスツェフはⅡ世の死以後、毎日、教会で鎮魂の儀式を欠かさなかったと伝えられる。彼の勧めもあって、ドストエフスキーはⅢ世に80年末、「カラマゾフの兄弟」を献本している。場所はアニチコフ宮殿である。

冬宮は改革派のアレクサンドルⅡ世、大理石宮は急進派のコンスタンチン大公、アニチコフ宮殿はポベドノスツェフ、皇太子らの保守派、上層部の分裂は深まり、社会の矛盾は深刻さをます。急進派のテロは相次ぎ、露土戦争で経済は悪化する時代、ドストエフスキーは「カラマゾフの兄弟」を書きあげた。

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 会の活動についてはドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

  

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